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自己啓発や聖書に関する事等掲載中。引用聖句:新改訳聖書©新日本聖書刊行会 英文聖句:New International Ver.

インターネット検索事業者と「国の基本権保護義務」その5:ストリート・ビューへの当てはめ

 私の論文:インターネット検索事業者による「検閲」と表現の自由

では、概ね以下の内容を順に論じています。

(1)従来の学説・判例をもとに、表現の自由の趣旨や定義および具体的な内容を述べる
(2)今日のインターネットの普及による、表現の自由の展開を考察する
(3)インターネット検索事業者と表現の自由の問題について考察する

 さらに上記(3)では、主に次の3点をポイントに論述しています。

A.インターネット検索事業者自身による「検閲」と表現の自由、及び検閲の正当性
B.インターネット検索事業者に対する「国家検閲」と表現の自由、及び検閲の正当性
C.インターネット検索事業者によるプライバシー侵害と表現の自由

 A.については、主に「グーグル八分」と「グーグル・セーフサーチ」の問題
 B.については、主に中国における国家検閲・・・の予定でしたが、主に日本の「青少年ネット規制法」の問題
 C.については、今や大変ホットな話題となっている、「ストリート・ビュー」の問題

を論じています。

 今夜は、まず、C.について述べてみたいと思います。

 インターネット検索事業者のような巨大な社会的権力と社会的弱者の利害関係の調整を私的自治の原則により対立関係を解決することは現実的には難しいことと、インターネットの特性により人権侵害が発生するスピードと範囲は従来のマスメディアの比ではなく、憲法が保障する権利や自由の核心にまで及ぶような犠牲を、一方の当事者に強いることが継続して発生してしまう危険性がある、という重要な問題が発生しています。

 このままでは、「憲法が国民に保障する自由および権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う」とする憲法12条に反する状況が、巨大な社会的権力であるインターネット検索事業者により生まれる虞があるため、何らかの対策を講じる必然性に迫られています。

 では、インターネット検索事業者と社会的弱者のような私人間による利害調整の場面において、基本権保護義務論を適用することにより、問題解決の糸口が見つかるのでしょうか。

 基本権保護義務論によれば、私人により基本権法益が侵害された場合、基本権に含まれる原理に基づいてその最適化への要請ゆえ国の基本権保護義務が生じるものであり、第一次的には立法者に向けられますが、民事裁判にも妥当します(※1)。国家、加害者たる私人(インターネット検索事業者)、被害者たる私人の三極間の関係を問うものであり、基本権は国家の措置の上限を画するだけではなく、必要的下限をも画する(※2)ものです。

 ストリート・ビュー事件の場合にあてはめると、裁判所においては、グーグルのインターネット上での表現の自由や営業の自由などの基本権を過剰に侵害してはならず、かつ被害者に対してはプライバシー権に対応する基本権保護義務を履行する必要があり、さらには、グーグルの基本権と被害者のプライバシー権相互の利益衡量を重要視する必要があります。

 以上のような法的三極関係による裁判所は、常に「原理」としての基本権に応じる形で一定の法創造機関としての役割が求められます。

 当該サービスについては、2008年10月9日に町田市議会がストリート・ビューに関する規制を求めて政府および関係機関に意見書を提出しています(※3)。米国では、訴訟も提起されています(※4)。

 「他者の表現行為が自己プライバシーを侵害するとしてその差止めを裁判所に求め、あるいは損害賠償を求める私人は、憲法上保障されるべき利益を保護する積極的な国家行為を求めていることになることから、国家は、憲法が国家の侵害から保護する私人の利益を、立法や司法を通じて、私人間においても保護すべき責務を一般的に負っていると考えざるをえません。なぜならば、そもそもの国家の存立の正当化根拠へとさかのぼっていけば、憲法によって保護された利益を社会内部で実現することは、国家の活動の正当化根拠である公共の福祉のきわめて重要な要素だという理由からです」(※5)。

 インターネット検索事業者と対立している当事者の権利が、個人の自律を根拠とする「切り札」としての人権であるプライバシー権とすれば、その人権を保障すべきだという結論が導かれると思われるため、社会的権力たるインターネット検索事業者に対しても、プライバシー権の保護を主張できると解します。そのため、国は被害者に対する不作為ではなく、侵害者たる私人からプライバシー権を保護する作為義務が生じます。

 その上で、インターネット検索事業者による私人に対するプライバシー侵害に関しては、「表現の自由」対「プライバシー」といった形で憲法上等しい価値の間での選択を問題にするのではなく、インターネット検索事業者が有する表現の自由は「憲法上の権利」にすぎないのに対して、個人が有する名誉やプライバシーなどは「切り札」としての「人権」に属するという形で、後者の優先性を導き出すことになると解します。


※1)松原光宏「私人間における権利の保障」小山剛・駒村圭吾編『論点探求 憲法』弘文堂、2005年、90、91頁。
※2)小山剛『基本権の内容形成 ― 立法による憲法価値の実現』尚学社、2004年、94頁。
※3)地域安全に関する意見書(町田市議会)http://www.gikai-machida.jp/ketsugi/img/h20/gg19.pdf
※4)BORING et al v. GOOGLE INC. Case 2:05-mc-02025 Document 688 Filed 05/21/2008
※5)長谷部泰男『憲法・第4版』新世社、2008年、183頁。


 ざっと、以上のような論述になるでしょうか。しかし、素朴な疑問ですが、いつからグーグルがこれだけ社会から問題視されるようになったのでしょうね。ついこの間までは、次々に画期的なサービスを大抵無料で提供してくださっていたので、絶賛の声は存在しても、批判の声はあまり聞かなかったです。やはり、ユーチューブ買収の頃からでしょうか。サブプライムローン問題と同様、突然問題が発生したようでも、実はそれまでにかなりの問題を内包していたともいえるかもしれません。自省するとともに、世界のスーパーエリートロイヤーが集っているグーグルチームの活躍にも期待するものです。


Jesus said,
"Father, forgive them, for they do not know what they are doing." (Luke 23:34)

そのとき、イエスはこう言われた。
「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカ 23章34節)