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自己啓発や聖書に関する事等掲載中。引用聖句:新改訳聖書©新日本聖書刊行会 英文聖句:New International Ver.

インターネット検索事業者と「国の基本権保護義務」その7(最終回)

 先ほど卒論の推敲が終わりましたので、指導教官に電子メールで卒論データファイルを送信させていただきました。稚拙な論文ですから、はなはだ恐縮です。

 結論部から、少しですが記載します。

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 基本権保護義務は国家の介入の上限を拡張する理論ではなく、その必要的下限を設定する理論であり、国家・侵害者・被害者という法的三極関係という図式自体に侵害者の基本権の尊重が既に織り込まれ、侵害者の基本権に対する必要最小限度を超える侵害は違憲であることから、「国家に対する防御権としての憲法」という憲法観を無にするわけではない。ただし、市民の意思に反した国家による保護は、基本権保護義務論により要請されるものでも許容されるものでもない 。

 ただし、基本権保護義務は私人間の紛争をall-or-nothingで解決するものではなく、原理として、一定の方向に結論を導く傾向的な力を持つが、別の方向へと結論を導こうとする他の原理と衝突しうる。前掲「グーグル八分」「グーグル・セーフサーチ」「青少年ネット規制法」の問題については、市民の表現の自由が侵害されるという意見がある一方、青少年の保護としての価値を認める等の理由によりインターネット検索事業者による情報選別を保護するべきであるという意見も存在する。また、「ストリートビュー」の問題については、市民のプライバシーについて、事後的な治癒が困難な侵害が発生していることから、インターネット検索事業者の表現行為への事前差し止め請求は当然に認められるという意見がある一方、事前抑制により市民の閲覧機会が奪わることから、インターネット検索事業者による表現が、果たして妥当か否かを検討する機会が社会から奪われるという意見も存在する。ドゥオーキンが述べたように 、市民は国家の干渉から自由である個人的な権利と同時に、国家からの保護を受ける個人的権利を持っていることから、国家は、いずれかの権利を選択しなければならない場面もある。

 インターネット検索事業者による「検閲」と表現の自由の問題については、米国等海外を含め今後積み重ねられると想定される判例動向と、基本権保護義務論に対する諸学説をさらに研究しつつ、求められる立法内容も含め今後さらに深く考察していきたいと思う。
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<謝辞>
 本稿は、ご多忙の中、慶應義塾大学法学部教授であられるK先生のご指導を賜り、制作できたものである。筆者は、インターネット関連システム開発等に20年間従事してきた。そのため、筆者が意図せず、法学部生としての論文ではなくコンピュータ技術論文の制作になりがちである。表現の自由に関する既存の学説・判例を丁寧に積み重ねつつ、本稿を制作するようK先生よりご指導賜ることができたことは、筆者の上記欠点を正す大きな契機となり、心より感謝の意を示すものである。
 
 本稿の制作にあたり、その出発点を2007年夜間スクーリング後にご多忙の中ご助言賜った慶應義塾大学非常勤講師であられるS先生と、『グーグル革命の衝撃』より少なからず引用させていただく旨、快く承諾してくださったNHK出版様に対し、この場をお借りして御礼申し上げたい。

以上
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 論文には誇れるような内容は全くありませんので、おとなしく先生のご指導を仰ぎたいと思います。

サンタクララバレー教会中尾牧師先生の最新メッセージより
http://penguinclub.net/nakao/sermons/ruth/ruth4-9.html
「不安な時代であればあるほど確かな歩みをしたいと願います。みせかけだけの時代であればあるほど、本物を求めて生きていきたいと心から願い、互いにそのことを励まし合っていきたいのです。それが神を信じる人々の人生の目的であり、教会の使命なのです。」

”So in everything, do to others what you would have them do to you”(Matthew 7:12)
何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。
(マタイ 7章 12節)