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インターネット検索事業者の表現の自由:グーグル・セーフサーチの考察

 今回は、論文テーマに関する論点の一つであるインターネット検索事業者の表現の自由と「グーグル・セーフサーチ」について考察してみたいと思います。

 前回のブログ(下記)で記載した論文構成の(3)A.項に相当する内容となります。
http://blogs.yahoo.co.jp/kmdbn347/34863287.html

 グーグルは、検索利用者により意図的に解除されない限り標準機能として組み込まれる「グーグル・セーフサーチ」という独自のフィルタリングを標準機能として備えています。グーグルの公式ブログによると、

「セーフサーチは独自の技術を駆使して、明らかに性的なコンテンツを含むサイトを選別し、検索結果に表示されないようにします。不適切なサイトをフィルタリングすることで、お子様にも安全に検索サービスを使っていただくための第一歩です。なお、まだ不完全なフィルタリングの場合がありますが、ユーザーの皆さまからのフィードバックなどをもとに今後も調査をおこない、精度の向上に努めてまいります。」
http://googlejapan.blogspot.com/2008/04/blog-post.html

と述べています。

 ところが、現実的には性的なコンテンツとは無関係なキーワードに関してもフィルターがかかりインターネット検索結果より除外されている事実が判明しています。

 ハーバード大学ロースクールBerkman Centerによるグーグル・セーフサーチについての調査結果によると、グーグル・セーフサーチは少なくとも何万ページもの性的に露骨な内容を含まないウェブページを検索結果から除外しており、除外されたウェブページには本来除外されるべきではない教育機関、非営利的団体、ニュースメディア、国や地方政府のウェブページが含まれていることが判明したことから、ウェブページを検索結果から除外するべきか、そうでないかを決める合理的でかつ恣意的ではない原理を造るのは難しい(※1)と述べています。

 またグーグル・セーフサーチの標準設定ではフィルタリングが有効になっているため、「グーグル・セーフサーチ」の存在を知らない検索利用者においては、グーグルにより制限された情報しか閲覧できない状態にあります。すなわち、本来保護されるべき表現に対して、事前にグーグルにより検閲されていることになると解します。

 問題視すべきなのは、このフィルタリングの仕組みが、あまりにも恣意的であいまいであり、さらに不正確であることです。本来検索結果から除外されずに閲覧に供されるべきウェブページまで検索結果に表示されないことがある一方、本来排除しても許されると思われるウェブページが検索結果として表示されることもありうることになりますね。

 現在のコンピュータ・プログラミングは人間の識別能力に代替するまでの域に達しておらず、本来憲法により保護されるべき表現とそうではない表現を正確に理解することはできません。したがって、社会的に価値のある情報まで検索結果より排除する可能性が大いにあります。

 フィルタリングでアクセス制限できる情報の選別が、インターネット検索利用者によってではなく、情報発信者(表現者)と検索利用者との間に介在するインターネット検索事業者による「コンピュータ・プログラム中心」により決定されてしまうため、アクセス制限の対象が広範囲であり不正確なものとなりますね。

※1)http://cyber.law.harvard.edu/archived_content/people/edelman/google-safesearch/
"However, testing indicates that SafeSearch blocks at least tens of thousands of web pages without any sexually-explicit content, whether graphical or textual. Blocked results include sites operated by educational institutions, non-profits, news media, and national and local governments. Among searches on sensitive topics such as reproductive health, SafeSearch blocks results in a way that seems essentially random; it is difficult to construct a rational non-arbitrary basis for which pages are allowed and which are omitted. "


 次回からは、この問題を、小山先生の提唱する「国の基本権保護義務論」とドゥオーキン先生の提唱する「切り札」としての人権の視座から考察していきたいと思います。

 頭を垂れて、毎日できる研究を積み重ねていきたいと思います。

”For who makes you different from anyone else?
What do you have that you did not receive?
And if you did receive it, why do you boast as though you did not?”
(1 Corinthians 4:7)

「いったいだれが、あなたをすぐれた者と認めるのですか。
あなたには、何か、もらったものでないものがあるのですか。
もしもらったのなら、なぜ、もらっていないかのように誇るのですか。」(コリント第一4:7)