こうして今朝も勉強できること自体に感謝します。
昨夜は早速、英米法レポをはじめた頃に購入していた松井先生の文献を読み、米国のステイト・アクション法理について復習していました。
松井茂記『アメリカ憲法入門〔第5版〕』有斐閣、2004年
今後、これまで書いた論文に米国のステイト・アクションに関連した論述を加筆するにあたり、「木を見て森を見ない」という状態に陥らないように、論じるべき問題を以下の通り再確認したいと思います。
1.私人間の権利の対立構造
(1)インターネット検索事業者は、「グーグル八分」「グーグル・セーフサーチ」の問題について、自らの表現の自由を主張する。
(2)一方、市民からすれば上記(1)の行為は「検閲」であり、市民の表現の自由が侵害されていると主張する。
(3)問題の局面は、インターネット検索事業者と、一般市民や小規模事業者など、私人間の利害の衝突であって、従来の検閲で問題視してきた公権力と市民との対立があるわけではない。つまり、知る権利との関係で、一方の私人が自らの表現の自由を主張することで、他方の私人の蒙る不利益の受忍を迫る構図が成立する。
2.インターネット検索事業者の自由についてのさらなる問題
(1)上記1(1)との関連で、インターネット検索事業者は自らの表現の自由の主張を援用し、「ストリート・ビュー」サービスを開始したが、市民に対する事後的に治癒が困難なプライバシー権侵害をしている虞がある。
※さらに、インターネット検索のコンピュータ・ロボットに意図せず検索され、不特定多数の閲覧に供される(キャッシュされる)虞について、表現の自由の視座からの論述を加筆する。
(2)インターネット検索事業者に対する「国家検閲」が、中国等諸外国のみならず、わが国においても「青少年ネット規制法」を通じて行われる虞がある。
(3)仮に、上記問題についてインターネット検索事業者の表現の自由であったとしても、巨大な社会的権力であるインターネット検索事業者に無限定な表現の自由を主張させてもよいのであろうか。
3.インターネット検索事業者の表現の自由に対する歯止め
(1)(広義の)ステイト・アクションの考察(加筆部分)
(2)多様な情報の流通という公益に奉仕することを保障根拠とする表現の自由の考察
(3)国の基本権保護義務論の考察
※歯止めを行う場合において、違憲審査義準についての論述を加筆する必要性も検討する。
現時点の私の理解では、ステイト・アクション法理による歯止めについては、上記2(2)については適用できなくはないと思っています。しかしながら、1(1)と2(1)について、どう適用していくかについては、かなり熟考を要する課題だと思われます。これまで英米法レポ等を制作する上で勉強した範囲の米国判例から解を導いてこれるかどうかについては、今のところ疑問を感じています。特にこの点につき、私自身の努力が求められます。
法学の世界で何の実績も持っていない私のオリジナルな論述では、何ら信憑性を持ちませんので、海外含めた既存の学説・判例をベースに法的な視座から論述をまとめていくこととします。
そうはいっても、多少はこれまでの実務経験も活かしつつ論述できるので、私にとっては喜ばしいことですね。
”Rejoice in the Lord always.”(Philippians 4:4)
「いつも主にあって喜びなさい」 (ピリピ4:4)