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インターネット検索事業者と「国の基本権保護義務」その6:グーグル・セーフサーチへの当てはめ

 では、前回の問題点を踏まえて、グーグル・セーフサーチの問題をさらに考察していきたいと思います。

 基本権保護義務論の適用をするにあたり、問題点をあらためて整理すると、

 インターネット検索事業者の表現の自由 VS. 市民の知る権利(表現の自由

を比較衡量する必要があると思われます。つまり「法人の人権」と「市民の人権」の対立構造が浮かび上がっています。


 「知る権利」の憲法上の基礎付けにおいて「『表現の自由』は、『送り手』と『受け手』との双方から成立つコミュニケーションの自由であり、『受け手』の権利こそ、知る権利にほかならない」(※1) とする説が存在してきました。さらに表現の自由を「コミュニケーションの自由」として再構成する試み(※2) も議論されています。

 インターネットは、情報の送り手と受け手の間において、従来にはない低コストで能動的な双方向コミュニケーションを実現する画期的な可能性を持つことから、「表現の自由」を「コミュニケーションの自由」として、ますますとらえ直すべきであると思われます。

 アイザイア・バーリンは、自由の問題性を「消極的な自由(~からの自由)」と積極的な自由(~への自由)」(※3) という二つの概念でとらえました。

 この概念を表現の自由の問題に当てはめると、近代の表現の自由については、「公権力による検閲」に代表されるような、公権力に対抗するための「消極的な自由」として議論されてきたように思われます。

 しかし、インターネットが普及した今日の情報化社会では、一連の能動的過程である「コミュニケーションの自由」を「積極的」に実現することが要求されていることから、バーリンが述べるところの「積極的な自由」を保障する必要があります。

 ところが、既存の法体系は積極的な自由を想定していないことから、積極的な自由を保障するためには、公権力の側になんらかのサービス提供がもとめられる場合が少なくない(※4)と思われます。


※1)奥平康弘『知る権利』岩波書店、1979年、31頁。
※2)奥平康弘『憲法の想像力』日本評論社、2003年、130頁。
※3)アイザイア・バーリン(小川晃一、福田歓一、小池銈、生松敬三共訳)『自由論』みすず書房、1979年、303頁以下。
※4)奥平康弘『憲法の想像力』日本評論社、2003年、131頁以下。


 次回は、もっと深くこの問題を考察していきたいと思います。

"God opposes the proud but gives grace to the humble."
Humble yourselves, therefore, under God's mighty hand,that he may lift you up in due time." 
(1 Peter 5:5~6)

 『神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。
 ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。
 神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。』