言い尽くせない感謝

自己啓発や聖書に関する事等掲載中。引用聖句:新改訳聖書©新日本聖書刊行会 英文聖句:New International Ver.

松戸三田会懇親会に参加して「あきらめないことの大切さ」をあらためて認識

 今日は、ランチタイムにあわせて仕事中に休み時間をいただき、松戸三田会の懇親会に参加させていただきました。通信課程を卒業した方も何人かいらっしゃいました。また、通学課程の方ですが、同じ法学部卒業で、債権分野で超有名なI教授の元で卒業した方もいらっしゃいました。

 現役の学生さん(塾生)も3名ほど参加していただきました。といいましても、応援団1名とチアリーダー2名で、最後に素晴らしいパフォーマンスをみせてくださいました。

 チアリーダーの方をみて、どこからともなく「カワイイ・・・(ため息)」

・・・踊り終わった後、次の曲を踊り始めると、またまたどこからともなく「カワイイ・・・(ため息)」。

 「カワイイ」の後にため息が出るのは、はじける若さからエネルギーが溢れていて、とても眩しくうつったからだと思います。

 ご来賓の方のご挨拶の中でも、「老い」とは年齢のことではなく、目標にむかって前向きにがんばる心がなくなった時点で「老い」が始まるので、心の持ちようが大切ですというような意味合いの貴重なメッセージがありました。

 かつては、上記応援団の青年やチアリーダーのように、パワー溢れる青春時代を過ごしていたことを懐かしんでばかりいては、既に老いがはじまっているということでしょうね。

 そういう意味では、今春に慶應義塾大学法学部を卒業させていただき、通信教育課程在籍中の生活を振り返ると、「もう二度とああいう生活はできない、したくない、よくあの生活を送れたな・・・」という思いで一杯です。在籍中は、いつの間にかそういう生活が当たり前になっていましたが、上記でいうところの異常なほどのパワーなくしては卒業まではたどりつきませんでしたね。

 「不思議な導きにより入学できたのだから、ゴールまで神様が必ず導いてくださる」と信じて、ただひたすら「自らあきらめないこと」に専念していたように思います。

 もちろん、私一人の力で卒業できたのではなく、家族はもちろん、職場の方々、周囲の方々、学友の励まし、厳しい中にも心の温かい先生方や事務局の方々などの愛情に包まれ、守られたからです。

 やっぱり一番きつかったのは、スクーリングでしょうね。今でも神様の導きなくしては、卒業できなかったと確信しています。

 
 先日の不動産三田会のときもそうでしたが、通信教育課程を卒業する難しさをご存知の方は決して少なくないということを実感しています。

 ここで述べる「難しさ」とは、試験やレポート、スクーリング、卒論一つ一つの難易度はともかく、それら全てにおいて所定の単位を得るまでに土俵に上り続けることがとにかく大変であることですね。


 現在通信課程の方は、日吉でのスクーリング中ですね。本当に暑い中ご苦労様です。ですが、絶対にあきらめないで、最後までゴールテープ目指して2単位(語学は1単位でしたよね)等を積み重ねていただきたいと心から願います。ぜひがんばってください。

 私も松戸三田会に参加させていただきパワーをいただきましたので、今夜もアーウィン・チェメリンスキー学長のビデオを繰り返し観たいと思います。

●「Dean Chemerinsky on why you should apply. (video)」(UC Irvine Law Schoolホームページより)
http://www.law.uci.edu/movies/apply.html

 アーバインは米国滞在中に数度足を運び、個人的に好印象を持っている場所です。さまざまな条件が整うことが前提ですが、誰と競争するわけでもなく、私の残された人生においてチャレンジする楽しみの一つです。専門は、人権、そして福祉で当面進んでみましょう。最終的には、何らかの形で教育現場の土俵に上ることができれば・・・。

 これらの条件が整うためには、無関係とも思われるものの今所持している日米の不動産取引資格が、何らかの理由により必要になるのでしょうね。その理由については全く分かりませんが、私がここ数年の間に体験したこと、得た資格は、今後の糧として神様が与えてくださったのですから、間違いなく必要なことなのでしょう。

 そうはいっても、私は何か優秀な点を持っているわけでもなく、立派なことをしてきたわけでもありません。ですから、神様が小声でささやく導きにできるだけ耳を傾ける時間を継続した上で、ひたすら頭を垂れて、自己研磨に励みたいと思います。


●本日の暗唱聖句
If anyone thinks he is something when he is nothing, he deceives himself.
(Galatians 6:3)

だれでも、りっぱでもない自分を何かりっぱでもあるかのように思うなら、自分を欺いているのです。
(ガラテヤ 6:3)