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インターネット検索事業者と「国の基本権保護義務」その1

 私の卒業論文テーマ:インターネット検索事業者による「検閲」と表現の自由

の結論部では私人間の権利を比較衡量しており、その解決策の一つとして、国の基本権保護義務論を適用することを試みています。ここで、再度問題点を整理した上で、前回に続き、小山先生が、どのようにドイツの基本権保護義務を日本に導入しておられるか、考察を続けたいと思います。

 結論部で論述する内容を、以下の3点に絞って考察してみたいと思います。

1.インターネット検索事業者の表現行為により侵害されているおそれがある基本権(情報の送り手の自由、知る権利、プライバシー権)は、どのような意味合いの人権であるか?

2.その基本権は、国家が保護すべき人権であるか?

3.国の基本権保護義務論を適用した場合、どのような解決策を導き出すことができるか?


 このうち、上述1と2については、ロナルド・ドゥオーキン先生により提唱された「切り札」としての人権(Rights as Trumps)の勉強を通じて、まとめている途中です。文献としては、以下の2冊+翻訳本(『権利論』『権利論2』)です。

Ronald Dworkin『Taking Rights Seriously』Harvard University Press、1977年
長谷部泰男『憲法・第4版』新世社、2008年


 さらに、「表現の自由 VS.プライバシー権」については、憲法学上そう単純な問題ではありません。プライバシー侵害の代表的な事件とされている「石に泳ぐ魚」事件についても、君塚先生は

 「名誉が社会的評価の問題であり事後の反論により回復可能なことと異なり、プライバシー侵害事例では、差止めは当然に認められるという見解もあるが、表現の自由の側からすれば、差止めにより読者の評価機会が奪われたことも見逃せず、著作物の内容が妥当か否かを再考する機会が、社会から消え去ったのである」。
君塚正臣『憲法の私人間効力論』悠々社、2008年、363頁。

と述べた上で、

 「非公開にされることを本質とするプライバシー権と、事前抑制の原則禁止を含む表現の自由とは、真っ向から対立する」。
君塚正臣『憲法の私人間効力論』悠々社、2008年、364頁。

と主張しておられます。


(・・・インターネット検索事業者と「国の基本権保護義務」その2へ続く)