インターネット検索事業者と「国の基本権保護義務」に関する論述をするための最低限必要な勉強がまだ足りていないと実感します。Doworkin先生の「Rights as Trumps」(切り札としての人権)の勉強を含めて、もう少し時間を要します。
今朝は、東京キリスト教学園名誉理事であられる岡村又男先生の『ビタミン愛』を勉強することができました。今年の夏に直接岡村先生とお会いしてお話する機会がありましたが、この本の雰囲気(といいますか、香り)の通り、ソフトでまろやかで、あたたかくて、やさしくて・・・とても素敵な牧師先生でした。
世界で20億人以上いるといわれるクリスチャンの半分以上がカトリック系みたいですが、私はローマ・カトリックにつきルターの宗教改革で生まれたプロテスタント系教会に集っています。
マルチン・ルターは、バプテスマ(洗礼)について、次のように語ったと言われているようです。
「自らの洗礼の日をふりかえり、何もわかっていなかったと思う。しかし、その日の神の恵みの故に今日も神を信じて生きてる幸いを深く思う。」
(前掲『ビタミン愛』3頁。)
さらに、岡村先生は、続けて次のように述べています。
「バプテスマ(洗礼)を受ける条件について、しばしば間違った考えを持っているために、受けることを躊躇している人がいます。神のこと、聖書のこと、教会のことがもっと良くわかったらとか、クリスチャンらしい行為ができるようになってからとか、自分で条件をつけて、私はまだだめと考えている場合があります。」
(前掲『ビタミン愛』3頁。)
この本は、私の手元でとどめておくのはもったいないように思います。熟読しましたら、どなたかにリレーしたいと思います。岡村先生のお話をきいたときに、心の疲れがすっと軽くなったように記憶していますが、この本を読むと同じような感覚が生まれているように思います。
”Come to me, all you who are weary and burdened, and I will give you rest. ”(Matthew 11:28)
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)