慶應大学通信教育課程では、夏スクーリングが始まっていますね。炎天下、どうぞお身体にはお気をつけください。教室の前の席がびっしり埋まることが多いのも、通信教育課程スクーリングの特徴と聞いたこともありますが、実際そうですよね。
08年現代中国論レポートの問題は次の通りです。
「1989年6月に天安門事件が発生した背景について論じなさい。その際には、国内環境とともに国際環境が与えた影響についても論じること。」
早速、指定のテキスト(国分良成『中華人民共和国』筑摩書房、1999年)などを勉強しはじめました。何かコメントできるまでには至らないのですが、とても奥の深い世界のように感じました。
英語は、松澤氏の『単語耳』で子音「s」のトレーニングを少々。子音「s」だけでも、きれいに発音できると、がぜん英語らしい発音になるとのこと・・・。『英語耳』トレーニングから繰り返してきたことですが、納得です。
論文は、佐藤幸治先生の『憲法〔第3版〕』青林書院、1995年 などを勉強しました。著名な佐藤先生の文献については、今頃遅いよ・・・という印象もあります(笑)。ですが、今だからこそやっと内容が脳に刷り込まれ始めているともいえます。
再度わきの下をしめて基本書を勉強しなおしたいと思います。「この文献は、もう必要ないな・・・」と思っていた文献を今になって読み返すと、「これはとても重要だ」という内容を新発見していますし・・・。
"The stone the builders rejected has become the capstone." (Matthew 21:42)
家を建てる者たちの見捨てた石。それが礎の石になった。
今の私の解釈では、この聖句はJesus Christのことを象徴していると思います。さらに、数多くの人が「これはダメ、ダメ、あの人はダメ、ダメ」などと見捨てたり相手にしなかった物や人が、将来世の中で重宝されたり、社会に大きく貢献したり、見捨てた張本人にとって命の恩人になったり・・・という意味があるかもしれません。