個人的な研究テーマと並行して、刑法総論のレポート課題(07年版)を検討していました。「結果的加重犯における因果関係」が問題となるように思いました。レポートを仕上げるまでには、今しばらく時間を要します。
あとで振り返るとお笑い非難用記事になると思いますが(笑)、とりあえず、今夜時点で特にあやふやな点をまとめると・・・
「幅員が約7.5メートルの片側1車線の見通しの良いほぼ直線の道路上にハザードランプを点滅させた状態で自動車を止めた」
という行為に対して、
「車の追突の危険性の予見可能性をいつも肯定してよいのであろうか?」
判例ではそれを認めているように思えますが、相当因果関係説に立つとどうなんでしょうね・・・。
刑法総論は、私にとっては最も難しい科目です。ですが、刑法総論は卒業するための必須科目ですから、なおさらがんばる必要があります。また裁判員制度を鑑みると、「慶應大学法学部を、刑法を勉強した上で卒業しました」と他の方に言える程度の力(あいまいな表現ではありますが)はつけていたいと思います。裁判員制度そのものの是非についてはコメントする立場にないのですが、それが導入される予定である以上、私にとって刑法を学ぶ意義は一段と増しています。
話は変わりますが・・・
「必要な糧は既に与えられている」というような、生きていく上での大切なことをBibleから学んでいるわけですが、あまりにもBibleに記載されているメッセージの通りに物事が進展するので、時々ですが、一種恐ろしさを感じることがあります。
例えば、「×××をしてはいけない;▲▲▲を今この人に話してはいけない(・・・と結果的にあとでわかることになる)」というようなことを行動しようとしたり、話そうとしたときに、「なぜ今全く想像していなかった人から用事を頼まれるのだろう;なぜ電話がかかってくるんだろう」という出来事が発生したためその行為ができなくなり、結果的に失敗せずにすむ・・・ということが大なり小なりほぼ毎日発生します。
最初は「ただの偶然かな」と思っていたこともある、信仰心の薄い私でしたが(苦笑)、あまりにもそういう場面がほぼ毎日起こるので、さすがに、「オー(Oh) ロード(LORD), アイ(I) ゲイブ(gave) アップ(up)!」状態です。
つまり、「必要な糧」とは、目に見える金銭などの物質にとどまらず、人生を生きていくための大切な「ささやき」も含まれていると理解しています。それ以上の難しいことはわかりませんし、考える力もないですが、
「現代の人間が理解できることには限界があり、それを超越する何かが存在する」
と考えて心の王座を委ねた方が、そうでなかった時に比べて、私自身高慢にならず、そこそこ良い感じで暮らす事ができています。
ですから自分の思い通りにならないことが起きても、起きた時点ではそれなりに感情を乱すものの、「それも当然だしなー」とすぐ気持ちを切り替えることができますので、もしかしましたら余分なエネルギーを使わずにすんでいるのかもしれません。前向きな事にエネルギーをつかいたいですしね、三つの坂(上りざか、下りざか、「まさか!」)があるといわれる人生マラソンをぼちぼち走るには・・・。
「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。
あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
自分を知恵のある者と思うな。主を恐れて、悪から離れよ。」 (箴言3:5-7)
”Trust in the LORD with all your heart and lean not on your own understanding;
in all your ways acknowledge him, and he will make your paths straight.
Do not be wise in your own eyes; fear the LORD and shun evil.” (Proverbs 3:5-7)