言い尽くせない感謝

自己啓発や聖書に関する事等掲載中。引用聖句:新改訳聖書©新日本聖書刊行会 英文聖句:New International Ver.

浅野史郎『疾走12年 アサノ知事の改革白書』

土曜日は、以下の文献についての法学慶友会の勉強会が三田校舎内にて開催されました。

浅野史郎『疾走12年 アサノ知事の改革白書』岩波書店、2006年

なお、私が担当させていただいた章のレジュメは以下のような内容でした。

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「第6章 福祉の現実と理想 -障害者施設解体宣言-」について

本章のキーワード:「ノーマライゼーション(normalization)(注1)」と「日本の福祉法体系への疑問」

1.みやぎ知的障害者施設解体宣言(2004年2月)(注2)
 宮城県内にある知的障害者の入所施設を解体して、知的障害者が地域の中で生活できるための条件
を整備することを宮城県の障害者施設の方向とすることを宣言。地域の中にこそ普通の生活があり、
適切な支援措置さえあれば、重度の障害を持った人たちであっても地域での生活を送ることができる。
 
2.「共に学ぶ教育」
 「宮城県では、希望すれば障害児は健常児と共に学ぶ教育を選択できる」ことを目指す。

3.「世直し」という発想
 障害者とは縁のない生活を送っている地域の人たちに、あえて、障害者を送り込む。

4.解体宣言の趣旨
 施設を解体することが目的ではなく、どんなに障害が重くとも施設で一生を終えるのではなく地域
で普通の生活を送るのが当然という考え方から、施設入所の知的障害者を地域生活に移行させていく
ことに主眼がある。「知的障害者の生を豊かにすること」「一人ひとりに『生まれてきて良かった』
と実感してもらう」ことに、関係者は全力を尽くす。

5.障害福祉の仕事とは
 人間存在そのものに関わることであり、人道的だとかあわれみの心とかで表現されるものではなく、
むしろ自分たちの住む社会を住みやすくするためのプロジェクトではないだろうか。

6.日本の福祉法体系の特色:障害者本人の幸せとは何であるかについて、真に問われず成立しがち?
 「日本の法は、障害者を障害者施設の客体とみなしており、権利の主体(差別撤廃を要求する主体)
として位置づけていないという不十分性がある」(浅倉むつ子島田陽一盛誠吾『労働法・第2版』
有斐閣、2005年、392頁)という意見も存在する。

7.まとめ
 知的障害を持つ従業員への雇用助成金を騙し取るだけでなく、それらの従業員に対して、日常的に
暴行や性的虐待を行っていた「水戸アカス事件(注3)」にみられるように、わが国の福祉法体系や福祉施策
については、「社会的身分により差別されない(憲法14条)」「すべて国民は、健康で文化的な最低
限度の生活を営む権利を有する(同25条)」に違反している虞がある。
 障害は個性であり、全ての人は社会に貢献できることから、障害者の自己決定力と社会との関係を
実質的に強めることで、障害者が「支援される存在から、社会に貢献できる存在」として回復される
ような福祉法体系や福祉施策が求められると解する。


(注1)デンマークのバンク・ミケルセンが提唱した、「障害者も健常者と同じ人間として同じ生活条件を得ること本来の姿である」とする考え方である。昨今の国連やILOEUにおける取り組みについては「差別の撤退を通じて障害者の権利の擁護、障害者の社会的包括(ソーシャルインクルージョン)の促進が障害者施策の第一目標として掲げられており、雇用分野においては、雇用を通じて障害者の社会的統合を具現化するものとして一般雇用が捉えられている」(障害者職業総合センター調査研究報告書NO.8「サマリー」『EU諸国における障害者差別禁止法制の展開と障害者雇用施策の動向』2007年、11頁)といわれている。


(注2)この宣言に先立ち、2002年11月に宮城県福祉事業団が、知的障害者の中でも、特に重度の障害を持つ人たちを処遇する場として1973年に設置された船形コロニーを2010年までに解体し、入所者全員を地域生活に移行させるという「施設解体みやぎ宣言」を発している。知的障害者本人の希望と関わりなく、施設入所を当然のこととしてきたのではないかという疑問があった。施設運営に関わる職員としては、自分たちの仕事の意義に対する、真剣な反省である。

(注3)1995年に発覚した茨城県水戸市での事件。被害を受けた日時や、状況を正確に証言出来る被害者は少なく、「公判を維持できない」という理由もあるためか、知的障害者である被害者に対する警察・検察・裁判所の冷淡さに対して批判の声が強まり、各種メディアにも大々的に取り上げられた。
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 法学慶友会のNさまはじめ、法学慶友会の会長、皆様、本当にありがとうございました。

 日曜日は、教会で皆様に私のつたない経験談と、子どもをサンデースクール(日曜学校)に通わせていることの良さ・すばらしさについてお話させていただく機会を頂戴しました。このような機会を与えてくださったことに感謝します。

 仕事面では、思わぬ方向に進行しているものもあり、先が見えない状態ともいえますが、これも導きだと思い、近い将来に期待して丁寧に日々過ごしたいと思います。


”So we fix our eyes not on what is seen, but on what is unseen.
For what is seen is temporary, but what is unseen is eternal.”
(2 Corinthians 4:18)

私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。
見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。
(コリント供。款錬隠言瓠