C.シュミットやP.ヘーベルレの研究の延長として、
樋口陽一・森秀樹・高見勝利・辻村みよ子編『国家と自由-憲法学の可能性』日本評論社、2004年
に掲載されている石川健治先生の論文「制度伝説-『自由と特権の距離』補遺-」を研究していますが、この文献には、長谷部先生の以下の論文も含まれていました。
長谷部恭男「憲法学から見た生命倫理」
古典的事例として、安楽死への権利が取り上げられています。
また、生命倫理を考える上で、「身体の所有権」についての観念や、科学技術の発展がもたらした先端の遺伝子工学(ヒトクローンの産生など)について論述されています。
個人的には、米国の著名な憲法学者、キャス・サンスティーン先生の、「集団偏向現象(group polarisation)、つまり同じ傾向や思想を持つ人々を集めて周囲から遮断すると、その傾向や思想が過激化する現象」(長谷部・前掲363頁。)についての論述が特に目を引きました。
サンスティーン先生は、上記現象については、以下の通り述べておられます。
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サイバー・カスケード(Cyber Cascade)」として「個人の見たいもの、聞きたいものをかなえてくれさえすれば、その情報通信システムは素晴らしい、というのは単純すぎる」(注1) 考えであり、「同じ考え方の人たち同士の議論は、過剰な自信、過激主義、他者の蔑視、そしてときには暴力さえ引き起こすリスク」(注2) があり、「各自が一般向けのマスメディアを無視して、自分が聞きたい意見や話題だけに耳を傾けることになれば、このような事態は分裂よりはるかに悪い結果になる可能性が大」(注3) であるとしている。
注1)キャス・サンスティーン(石川幸憲訳)『インターネットは民主主義の敵か』毎日新聞社、2003年、30頁。
注2)サンスティーン・前掲33頁。
注3)サンスティーン・前掲36頁。
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長谷部先生は、この現象について以下のように異なる側面からプラス面として論述されておられると思いました。
「高度の学問研究に興味があるという特殊な人々を、しかも学問分野ごとに集めて自律性を持った制度を運営させると、学問研究への志向が過激化し、それは長期的には、社会全体の利益につながるさまざまな帰結をもたらすことになる。」
(長谷部・前掲363頁。)
事象は、異なる側面から考察する必要があることを改めて実感しました。長谷部先生が表現の自由に関する論述でおっしゃる「寛容の精神」にもつながるのでしょうね。
例えば、自分の目の前に発生する困難やトラブルは、自分を成長させてくれる糧であるという見方ができるということでしょうかね。
「If you are facing trouble right now, don't ask, "Why me?" Instead ask, "Why do you want me to learn?」
(Rick Warren『The Purpose Driven Life- What on earth am I here for?』199頁。)
”Be strong and courageous. Do not be terrified; do not be discouraged,
for the LORD your God will be with you wherever you go.”
(Joshua 1:9)
「強くあれ。雄雄しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。
あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」
(ヨシュア記 1章 9節)