今日は祝日ということもあり、道路もすいていたので職場にはとても早く到着できました。
最近は新しい仕事にも携わる機会が増えてきましたが、空き時間をみつけては卒論の内容を追求したり、次のレポート(物権法)について考えたりしています。
ところで昨夜娘から打ち明けられた話を、記録としてとどめておくために記載します。
昨日の台風の余波で、雨風がひどい中、一人のおばあちゃんが車椅子に荷物をやまほど積んで歩いていたとか・・・そもそも車椅子を押すその足取りもおぼつかなく、見かねた妻たちが声を掛けると「家には帰りたくない・・・」とのこと。昨今の高齢化社会をかんがみると、こういう事例は少なくないのでしょうね。
いろいろ話をしたが、結局どうすることもできない。家も遠いらしい。自分たちの無力さを悟る。
娘はどうしたか・・・
「神様に祈った。おばあちゃんのことを祈った。おばあちゃんの家族を祈った。」
おばあちゃんと話を続けると、どうも本当は家が近所みたいである。
雨風のなか、こちらの子供たちも、かさをさしておばあちゃんとともにヨタヨタ歩く・・・
そのおばあちゃんを午後4時から介護する予定だったヘルパーさんと出会えた。
とりあえず、よかった・・・とのことです。
以前記載したブログ(大切な方が悩んでいるとき・・・)の通りなんですが・・・。
http://blogs.yahoo.co.jp/kmdbn347/15482781.html
うちの子供はともかく、私の知っている限りの教会の子供たちは、他人のために自分の時間を使って祈る習慣が出来上がっているようです。
ただでさえ自分のやりたいことを実現するために、自分のためだけに一日24時間を使いたいと思いがちな私です。他人のために、時には自分をいじめる友達のために祈る姿をみると、言葉を失います。しかも、誰かに褒められようとかいう邪心からではなく、ひそかにその人たちのために祈っています。
※↑↑↑「施しの祈り」って呼ぶらしいです。
自分や家族など身内のために祈ったり何かを施したりするのは当然といえば当然ですが、いわゆる「自分の時間を使って他人のために施す」ことは簡単なことではないと思います。
サッカーのオシム監督ではないですが、「できない理屈を1000個並べる」ことはできますが・・・
理屈ならべてもだめですよね~大人として大いに反省するのみです。言い訳無用(苦笑)
最近の子供たちは・・・と言う前に「最近の大人は・・・」といわれてしまいそう(笑)
”Be careful not to do your 'acts of righteousness' before men, to be seen by them.”
(Matthew 6:1)
『人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。』