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自己啓発や聖書に関する事等掲載中。引用聖句:新改訳聖書©新日本聖書刊行会 英文聖句:New International Ver.

「多すぎた法科大学院…新司法試験、崩れた構想」という記事

 新司法試験に関するニュースです。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090923-00000049-yom-soci
 「4回目となった今年の合格者数は2043人で、初めて前年割れとなり、合格率も27・64%と3割を切った。法科大学院で充実した教育を行い、修了生の7~8割が合格できる――。そんな当初の構想は崩壊し、受験生たちからは『国による詐欺だ』との声も漏れる。なぜ、新司法試験の合格率はこれほどまでに低いのか。」


 上記記事の原文を全部読むと、いろいろな見方が存在すると思います。例えば、

「合格率が、27.64%もあるの・・・旧司法試験に比べて高い合格率だ!」
法科大学院入試の競争倍率が2倍を切っているから、入学しやすい環境になる!」

という楽観的な見方です。

 一方、法科大学院に入学し、2~3年間仕事をせずに通学し卒業するまでの資本力を借り入れや貯蓄切り崩しでまかなった挙句、3回不合格になってしまった、あるいは合格したものの司法修習の卒業試験に一定回数合格できずに法曹への道が絶たれてしまった方にとっては、大きな問題を抱えている制度であるという見方です。

 さらには、高い合格率の波に乗っかり法科大学院経由でせっかく法曹の世界に入ったものの、本人の予測(といいますか希望的観測)に反して周囲から尊敬されるわけではなく、仕事もあるわけではなく、結果的になんだかわからない境遇に押しやられてしまう人を産んでしまっているという見方もあると思われます。

 その結果、法科大学院経由でせっかく法曹になったとしても、本人に法曹としての差別化できる実力等がある一部の方を除いて、どの法科大学院を卒業したかという学歴がその後の法曹としての充実した仕事の有無を左右する可能性も否定できないという見方もあるのではないでしょうか。


 法科大学院に入学して卒業し、その後の司法修習を経て法曹界に入るまでの費用は、一般庶民の感覚からは決して安い費用だとは思われず、司法試験というよりは、資本試験といいたくもなるような状況です。

 多額の資本を投入した挙句に法曹になる道が遮断されてしまい、投入した多額の資本(及び場合によっては仕事)が無くなってしまい、取り返しがつかないような経済状況に追い込まれる人が少なからず生まれているとすれば、所詮本人の自己責任といってしまえばそうなのですが、それではあまりにも切り捨て的な発想であるとも思われますので、何らかの制度再設計の試みは必要になるように思います。

 私のように日々過ちを犯しては自省してばかりの人間はもちろんですが、過ちを認めて謝罪することも、それはそれで大切なではないかと思います。

 一方、法曹になることができなかった場合のリスクはそれなりに想定できたにもかかわらず、その道にトライしたものの、どうやら適正な道ではなかったと気付いた場合には、国や法科大学院に不満をぶつけても生産的な結論と将来の道は導かれそうにないようにも思われますので、早めに転身した方がよいかもしれませんね。

 諸事情あって、今夜はピッチを上げて勉強しつつある日本経済分析ネタを書こうとPCのスイッチを入れましたが、やはり当該記事は無視できず、コメントしてみました。

 

”Get rid of all bitterness, rage and anger, brawling and slander, along with every form of malice.”
(Ephesians 4:31)

無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。
(エペソ4:31)