言い尽くせない感謝

自己啓発や聖書に関する事等掲載中。引用聖句:新改訳聖書©新日本聖書刊行会 英文聖句:New International Ver.

嬉しいニュース&横田早紀江さんなど・・・

 妻子が大変お世話になっていた方が、昨日クリスチャンとなりました。

 めったに涙というものをみせない私ですが、この方に関しては自然と涙が頬を伝わります。

 大学院を卒業された後、さまざまな人生経験を経て、「クリスチャンではない」ご主人のお勧めにより教会に集い始め、聖書をしっかりと勉強した後、世界で20億人を超えるといわれるクリスチャン・ファミリーの一員となられました。5年前にクリスチャン・ファミリーの一員となった私ども夫婦などより、よっぽど聖書について詳しいです(苦笑)

 これまでの40年の人生を振り返ると、勉強やスポーツ面などに関して、私より後からはじめた方々が、私よりとてもしっかりとした歩みをするものでした。あっと言う間に追い越されること多々ありましたが(笑)、その方々の真摯な姿などを拝見することで、私としては勉強させていただけるので、とても幸せです。

 ”But many who are first will be last, and many who are last will be first.”(Matthew 19:30)

 『ただ、先の者があとになり、あとの者が先になることが多いのです。』

※↓↓↓シリコンバレーにある大きな日系教会の中尾牧師先生の最新メッセージです
http://penguinclub.net/nakao/sermons/is/is66-12.html

 シリコンバレーの駐在員さんの心理状況や、横田早紀江さんの日々についてなどとても勉強になりました。

 上記原文は少々長いので、一部抜粋して掲載させていただきます。よろしければご一読ください。


『・・・アメリカ、とくにシリコン・バレーは経済的に豊かなところですが、その豊かさを保つために、みんな必死になって働いています。仕事は人生を意義あるものにするためのものであるのに、仕事で目標を達成するために、仕事の奴隷のように働かなくてはならないということもあります。もっと豊かな人生を送れるはずなのに、いつのまにか仕事自体が人生そのものになってしまうのです。そんなことで精神的な余裕を失うと、ちょっとしたことで挫折したり、失望しがちです。体力や気力が衰えたり病気になって家に閉じこもりがちになると、孤独を感じる人も多いと思います。元気で活動的な人でも、身近に自分の悩み打ち明けることのできる人がいなければ、同じように孤独に陥るでしょう。まわりの人の誰も自分のほんとうの気持ちを分かってくれない時、人は孤独に陥るのです・・・』


 『・・・1977年11月15日、土曜日、新潟市で、学校のクラブ活動を終えたひとりの女子中学生が忽然と姿を消しました。警察の必死の捜査にもかかわらず、彼女の行方は全くわかりませんでした。母親は、娘に深い心の悩みがあって、それで行方をくらましたのではないかと考えました。「どうして、娘の気持ちを分かってあげられなかったのだろう。」と自分を責めました。この事件があって、いろんな人が彼女を訪ね、さまざまなアドバイスを与えましたが、その多くは「因果応報」についての話でした。この家族には、過去に悪事があって、それが娘に報いとなって表われたのだというのです。だからお祓いをしてもらいなさい、先祖を供養しなさいというのですが、「因果応報」という話は、彼女をもっと苦しめました。

 そんな時、友人のひとりが、「聖書のヨブ記を読んでみたら。」と言って一冊の聖書を置いて帰りました。悶々とした日を過ごしていた彼女は、すぐには聖書を開くことができませんでした。ところが、ある日、大きな悲しみが襲ってきた時、彼女は聖書を開き、ヨブ記を読みはじめました。彼女は、それまでに聖書のことばに断片的には触れていましたが、この時はじめて自分から進んで聖書を読みました。ヨブ1:21の「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」ということばが彼女の心をとらえました。彼女は、ヨブ記を一気に最後まで読みました。そして、「人間よりも偉大なお方がおられ、すべてを包んでおられる。」ということが分かり、聖書から深い慰めを得たのです。

 その時の彼女には、聖書の予備知識はほとんどありませんでした。ヨブ記といえば、クリスチャンにとっても「難しい」書物と考えられています。しかし、彼女は、その「難しい」といわれる聖書から神を知ったのです。彼女は、「悲しくて、悲しくて、泣きながら読んだ。」と話しましたが、その時の感情は混乱していました。しかし、神のことばは、そうしたことを越えて、心からの求めをもって神に近づく者に語りかけました。神のことばには力があって、痛んだ心に慰めを届けることができるのです。彼女は、神のことばによって神からの慰めを受け取り、やがて導かれてクリスチャンになりました。彼女は横田早紀江さん、娘の名前は「めぐみ」です。

 めぐみさんの失踪から20年たって、それが北朝鮮による誘拐であることが明らかになりました。北朝鮮の犯罪が明らかになってさらに10年がたちましたが、めぐみさんの生死はまだ明らかになっていません。そんな中で横田早紀江さんは、毎月、北朝鮮のために祈る、祈り会を開いています。横田早紀江さんは言っています。「北朝鮮は、私から娘を奪い、私を苦しめた国ですが、北朝鮮の人たちは、私の娘以上に苦しめられています。神は全能で奇跡をなさるお方です。生きて娘に会いたい。けれどもそれもみこころの中にあります。今は、苦しめられている人たちが救われ、世界に平和が来るようにと祈っています。」自分の娘の人生を台無しにした国とその人々を憎んでも当然なのに、横田早紀江さんは、その国の人々のために祈っているのです・・・』