今朝はいつもの柏事務所ではなく、松戸の本社へ出勤しました。車を走らせながらふっと疑問に思ったことが、「聖書って不思議だなあ・・・」ということでした。
昨夜子供から聞いた話ですから詳しくはわかりませんが、どうやら妻子が大変お世話になっていた方がそろそろ洗礼を受けてクリスチャンになられるとのこと。とても聡明な方でいつも感心していました。
以前の私は深く勉強することもなく自分のそれまでの価値観を元に、100%どころか120%以下の通りでした(笑)↓↓↓
「キリスト教? ああ、あれはねえ~○○○だからさ、●●●●なんだよな」
「聖書? ああ、あれはねえ~△△△だからさ、■■■なんだよ。」
敬愛するyokoさんが研修会でご指導される場合
『「1+1=2」というような答えしか出せないんじゃイケマセン!』
というような素晴らしいご指導をしておられるとのことでした。
以前の私ですと、まさにyokoさんクラスの劣等性!
法律を勉強していると、さまざまな分野でキリスト教に関わる話が登場します。世界中でこれだけ多数の方が聖書を学んでいるのは、ある意味で不思議でもあります。
「一生懸命拝まなければ幸せがやってこない、というわけではない」
「一生懸命献金しなければ幸せがやってこない、というわけではない」
「一生懸命キリスト教を信じる人を増やさなければ幸せがやってこない、というわけではない」
というのが興味深い点でもあります。長い歴史のあることですから、ある時代に生まれてちょっとだけの期間生かしていただく私のような者が理解できるわけないんですがね、そもそも。
”Therefore, if anyone is in Christ, he is a new creation;
the old has gone, the new has come! ” (2 Corinthians 5:17)
『だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。
古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。』