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自己啓発や聖書に関する事等掲載中。引用聖句:新改訳聖書©新日本聖書刊行会 英文聖句:New International Ver.

日米の学校教育と就職面接の違いについて―かの有名な中村 修二さんより

 
 昨日、なにげなく朝日新聞の朝刊を読んでいたところ、ノーベル賞ものの発明とも言われる青色発光ダイオード(LED)で有名な中村修二さんからのコメントが掲載されていました。青色LED訴訟で、さらに一般の方からも注目される存在になりましたね。

 手元にその記事が無いのですが、思い出しながら掲載記事の中でのポイントを2つピックアップしました。

1.日米の学校教育の違い

(1)米国:10代の早いうちから、個人の得意分野(専門性)をのばしてあげる。
(2)日本:専門性よりも、まずは社会を生きていくために全般的な知識を習得する。


2.日米の就職面接の違い

(1)米国:大学や大学院、博士課程でどんな勉強をしてきて、どんな専門性をもっているかをきく。
    
  ・・・企業からみてその専門性の有益さを認めた場合、いきなり高い年俸を提示してスカウト!
  ・・・プロスポーツ選手をスカウトするのと同じようですね。

(2)日本:学生時代に、どんなサークルをやってきたか、趣味はなにかをきく
  
  ・・・候補者の人間性をまずチェックするのでしょうかね。
    それとも「学生時代の学問に関する専門性」にはそもそも期待していないとか・・・

 もし米国で、そのような面接をすると企業側が訴訟される場合もあるとのことです。一生懸命勉強してきた学生に対し、面接官がその行為を軽視した態度をとったからなのだそうです。

 日本の教育の良さも無くはないとは思いますが、中村氏が記事の最後の方で、次のようなことを強く述べていらっしゃったのには胸を打ちました。


「早くこういった分野の勉強をしたいのに!」と最も吸収力の高い10代の早いうちに思っても・・・



「それは大学の専門課程(通常大学3年生からですね)になるまでマチナサイ」といわれる。
結局それまで待ったが、待つことによってのメリットはなく、さっさと早く研究をしたかった・・・


 この記事を書きながら、日米のビジネスマンを
「評価する目」
の違いについて、以前に国際間ビジネスで活躍している大先輩から教えていただいたことを思い出しました。


 日本:「所持している資格」よりも「何を実務でやってきたか」を重視する。


 米国:「何を実務でやってきたか」はもちろん評価するが、「その分野に関連してどのような資格をどれだけ所持しているか」を重視する。


・・・つまり不動産金融分野一つとっても、いろいろな資格を持っているということは、

それだけ継続して実務だけでなく、座学で自己修練(勉強)しているということである。


 世の中、企業の人事部ご担当者さんや転職エージェントさんはあまたいらっしゃいますので、さまざまな「評価の目」をお持ちなのは当然です。ですから、一概に「こうだ!」とは言えないのでしょうが、実務の力をアップさせるために、いかに陰で努力をしてるか、自己啓発に励んでいるかまで、きちんと評価するのでしょうね。


「資格取得など、実務以外の場面で学ぶ」事の大切さを、本人も企業側も理解している

のだと思います。

 確かに、資格取得の勉強をし続けて資格をゲットするのは簡単なことではないですから、それだけ自分を甘やかしていない!という目でその人を評価するのだそうです。私がアメリカで出会った不動産業のビジネスマンも、5つか6つの資格を所持していました。もちろん一流と呼べる企業の役員クラスでした。

 今朝、こういった話を一切伝えていない娘から、いきなり次の一言・・・


 「パパ、最近、試験は受けないの !?」


 私も現在ペーパードライバー状態ですが数学の教員免許は持っていることから、教育分野には以前よりとても興味を持っています。著名な方々が定義する理想の教育像は、時代によってさまざまですから、何がよいかは正直言って私も良くわかりません。

 最近まで「ゆとりの教育」と聞いていましたが、いつのまにか「ゆとりの教育は、日本人の学力を低下させた」というような話しもききます。専門性を追求する教育を重視すれば、「専門バカを大量に生み出した・・・」などと批判する方が出るかもしれません。時代時代によって、「良し」とされる教育像がコロコロ変わると、教える方も、教えられる方も困惑してしまうかもしれません。

 もっと、
時代を超えて長きにわたり大切にされてきた普遍な真理

を学ぶことが大切なように思いました。