言い尽くせない感謝

自己啓発や聖書に関する事等掲載中。引用聖句:新改訳聖書©新日本聖書刊行会 英文聖句:New International Ver.

全国通信三田会への入会手続

 先週末に入会金を振り込み、昨夜入会に関するメールを送りました。

●全国通信三田会
http://zenkoku2mitakai.web.infoseek.co.jp/ 


 昨日は、教会にて「他の方に見せたい自分の姿」と「自分からみた自分の姿」のギャップで悩んだり、疲れたりしていませんか、というようなメッセージをいただくことができました。

 また、学歴や勤務先など対外的に誇りたいような鎧(よろい)を着て暮らしていると、重荷で疲れてしまう場合もありますとのことでした。

 これは、クリスチャンにおいても該当する内容であり、対外的に敬虔なクリスチャンとして見せ続けなければというような「クリスチャン仮面」を装着して暮らしているものの、自宅に戻り、「クリスチャン仮面」をはずした時点から本性丸出しになってしまうような人生では疲れてしまいますよ、ということでした。

 確かに、私自身も、平成元年前後のバブル景気の恩恵(?)を受け、20代の時には従業員が何万人いるかわからないような会社にいつの間にか入社しており、いつの間にかその会社の名刺を持って対外的になにやら偉そうな態度や言葉を発していたように記憶しています。しかし、心のどこかでその名刺を鎧にして、自分自身を対外的に大きく見せようと背伸びしていたかもしれません。さらには、私自身に対しても、私自身が背伸びして、日々重荷を負っていたかもしれません。


 こうした超大企業に勤務することが決して悪いことではなく、また誇りを持って仕事をすること自体は素晴らしいことだと思います。しかしながら、就職氷河期的な時期に苦労してこうした企業に入社した方々と、棚からぼたもち的に入社できた私とでは、そもそも質が異なり過ぎます。


 学歴や運動能力、収入面等に対するコンプレックスを抱くことで、ハングリー精神がパワーとなり、大きく成長する契機になる場合もあります。それ自体も、決して悪いことではないと思います。その後がどうであるかを冷静に判断する前に、まずはそのカタチをつかむ努力を継続することも悪いことだと思いません。

 ただし、自分に対して自ら課した重荷で疲れすぎないようにしたいものですね。



●本日の暗唱聖句
Come to me, all you who are weary and burdened, and I will give you rest.
(Matthew 11:28)

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
(マタイ11:28)



※本日付の日めくりカレンダーからの引用です

どちらになりたいですか?
あなたが来ると、皆がうれしく思う人?
それとも、あなたが去ると、皆がうれしく思う人?

Some bring happiness whenever they come,
others bring happiness whenever they leave.
Which kind of person are you?