グーグルによる「ストリートビュー」の米国でのプライバシー侵害等事件について考察する上で、公共空間におけるプライバシーの権利の射程を検討してみたいと思います。
その上では、以前このブログで記載したした駒村圭吾先生の文献
http://blogs.yahoo.co.jp/kmdbn347/37746208.html
及び、当該文献で引用されている米国情報法学者のジュリー・コーエン先生の文献
JULIE E. COHEN『PRIVACY, VISIBILITY, TRANSPARENCY, AND EXPOSURE』(University of Chicago Law Review, Vol. 75, No. 1, 2008 )
※下記サイトからダウンロードして閲覧できます。
http://papers.ssrn.com/sol3/papers.cfm?abstract_id=1012068
を参考にしていきたいと思います。駒村先生は、以下の通り指摘しておられます。
「視線が表象するのは、『権力』と『知識』である。視線を注ぐことは相手を自らの知識下に置くことを意味し、知識下に置くことはある種の支配下に置くことを意味する。」
(駒村圭吾「『視線の権力性』に関する覚書」慶應義塾大学法学部編『慶應の法律学 公法機抃椿羌曾梁膤惱佝撚顱2008年、318頁。)
さらに駒村先生は、視線そのものによる害悪は、せいぜい違和感であり、大したことはないのかもしれないが、
「視線監視により採取された情報が、どこかでネットワーク化され、他の情報データベースと結合し、意味を付与され、今度は自分自身にフィードバックされて、匿名性が具体的に脅かされたり、何らかの責任を追及されるようになってはじめて、このプロセスの具体的危険性が主題化できるのかもしれ」ず、「具体的な権利としてのプライヴァシーが、情報の保存・加工・利用・散布の段階で問題となるとしても、視線観察がかかる情報流通過程の入口にあるならば、そこに何らかの規律を求めることには意味があるだろう。情報は、"opt-in"してしまったプロセスから"opt-out"させるのは困難だからである。」
(駒村圭吾・前掲319頁。)
と主張しておられます。
また、コーエン先生は、
「the greatest happiness for the greatest number(最大多数の最大幸福)」
で著名な哲学者・法学者であるJeremy Bentham(ベンサム)が設計した刑務所「パノプティコン」について、フランスの哲学者であるMichel Foucault(フーコー)が論じたことを引用し、「空間秩序」について前掲の論文で以下の通り指摘しておられます。
「Panopticism in the Foucauldian sense is both statistical and architectural; it entails ordering of spaces to obviate the need for continual surveillance and to instill tractability in those who enter.」
(Cohen, supra at 11)
はじめて「ストリート・ビュー」を利用した際に、「コンピュータや衛星技術の進歩により、このサービスは将来、リアルタイムの映像を提供するるのではないか」と感じたのは、おそらく私だけではないと思います。一見不可能に思われることも、次々と実現してきた秀逸なグーグルだからこそ、私自身は長年にわたりグーグルファンであり熱心な利用者でもあります。ですから、ますますグーグルが社会的に有益で不可欠な企業として国際社会に貢献していただけるよう、ぜひ国際社会における権力者としての節度ある責任を果たしていただきたいと願います。
将来的な危険性を予見して現在のサービスを法的に規制すべきとはいいませんが、米国はともかく、わが国日本においては現在のサービス内容でも市民の基本権法益を侵害していないとまではいいきれない状態にあるのではないかと危惧します。歴史を振り返りますと、当該人物や企業からみて重要視していなかった(小さな)ことにより、その存在が脅かされたり、最悪の場合は滅亡に導かれてしまったということもあると思いますから。
そういった対処(予防)をするための法的な知識・経験・費用面で劣るために、致し方なく現状に甘んじている社会的弱者ではないのですから、ぜひ、世界のスーパーエリート法曹をたくさん抱えておられるグーグルの今後の改善策に期待します。
"Whoever can be trusted with very little can also be trusted with much,
and whoever is dishonest with very little will also be dishonest with much.”
(Luke 16:10)
「小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、
小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。」
(ルカ 16:10)