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自己啓発や聖書に関する事等掲載中。引用聖句:新改訳聖書©新日本聖書刊行会 英文聖句:New International Ver.

グーグル「ストリートビュー」のプライバシー侵害問題に関する米国判例についての考察

 シュミット研究などドイツ公法についての研究が終わったわけではなく、引き続きベッケンフェルデについて研究を開始しますが、並行して現実的な問題についても考察していきたいと思います。

 日本でもそれなりに大きな社会問題となりつつある、グーグル社による「ストリートビュー」のプライバシー問題についてですが、日本に先行してペンシルバニアのBoring夫妻が訴訟を起こしていた件について、先月2月17日にグーグルが勝訴しています。
http://japan.cnet.com/marketing/story/0,3800080523,20388509,00.htm

 判決文をざっとですが読んでみた上での所感を記載してみたいと思います。


1.プライバシーが侵害されたことを裁判官に確信させるには至らなかった
 
 判決文では以下の通り記載されています。

 "While it is easy to imagine that many whose property appears on Google's virtual maps resent the privacy implications, it is hard to believe that any - other than the most exquisitely sensitive - would suffer shame or humiliation. The Plaintiffs have not alleged facts to convince the Court otherwise."

 上記判決文を鑑みますと、グーグル社の提供するストリートビューにより、原告側が「辱めや屈辱」のような基本権法益を侵害されたことについて、裁判官に確信させることができなかったのが敗訴の大きな要因のように思われます。グーグルの不法行為が証明されなかったということと解します。


2.グーグル ストリートビューにおける「オプトアウト(opt-out)方式」の是非には触れられていない

 判決文全体を読んだ感想としましては、「公平ではない」とまではいえませんが、あまりにも巨大な社会経済的な力を持ち、法的な知識・経験において原告側を圧倒的に上回る力を持つグーグルと、一市民とでは(たとえ弁護士を雇用してグーグルを訴えたとしても)、その公平性が維持できているかどうか疑問に思いました。

 検索エンジンサービスと異なり、グーグル自身でコンテンツを制作して提供しているストリートビューにおいては、コンテンツの管理コストや削除責任は、本来グーグルが全て負担すべきものですが、「オプトアウト(opt-out)方式」を主張することで、その管理コストや削除責任を、グーグルによる、ストリートビュー用の特殊な撮影装置による被撮影者(やストリートビューの利用者)側に転嫁しているように思われます。その点を含めて、訴訟を起こすことは不可能ではなかったようにも思います。

 確かに私的自治の原則が存在するものの、こうしてあまりにも力関係が異なる私人間において、私的自治の原則を貫くことが「真の公平」であるのでしょうか・・・。

 遠い米国ペンシルバニアでの判決とはいえ、同様のことはわが国でも発生しうることであり、一市民が一方の巨大な社会的権力者に対して訴訟を起こした場合に、一市民側の基本権法益が私的自治の原則により保護されるかどうか懸念するものです。

 出勤前の時間のないところで本件を考察していますので、適切な表現になっていないかもしれません。本件については、もっと判決文を熟読してみたいと思います。


 本日は、特に多忙な一日となりそうですが、食事と仕事があることに心から感謝したいと思います。

”Better a dry crust with peace and quiet than a house full of feasting, with strife.”
(Proverbs 17:1)

「一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。」
箴言17:1)