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自己啓発や聖書に関する事等掲載中。引用聖句:新改訳聖書©新日本聖書刊行会 英文聖句:New International Ver.

ステート・アクション法理における政府類似理論 (looks-like government)

 私の論文では、主に基本権の私人間効力に関する論述を必要としています。それには、伝統的な憲法観といわれる「国家からの自由」を、どこまで私人間の関係に適用するかという問題が存在します。

 本件についてはさまざまな先生が議論されておられるとおり、憲法の射程を「国家による自由」まで伸張させてよいのであろうかという大きな問題が絡むため、仮にそうであると、「国家からの自由」との兼ね合いで、その防御権としての憲法という伝統的な憲法観の大きな転換をもたらすことから、安易に意見を述べるものではないと解します。

 本件について、「実定法適用の場面で豊富な批判・学説の集積を提供するのが、違憲審査制の二つの典型でもあるアメリカ合衆国ドイツ連邦共和国」(樋口陽一『国法学[補訂]』有斐閣、2007年)とのことです。

 ということで、今朝は、アメリカのステート・アクション(State Action)法理を研究する上で、樋口先生『国法学[補訂]』を勉強していました。僭越ですが、とってもいい感じの文献です。

 この文献は、以前図書館(法科大学院棟)でドゥオーキン先生の文献を探していたときに、なんとなくこちらをじっと見てくださっているように思えて(笑)、引き込まれるように手にした記憶があります。しかし、その時はドゥオーキン先生の「切り札」としての人権(Rights as Trumps)の件で手一杯でしたので、熟読することはありませんでした。人間の出会いと同じで、文献との出会いも意味があるものなのですね。

 とても重要に思われる部分を引用させていただきます。

「巨大私的団体の社会的権力としての性格を強調し、それらの組織構造とその行使権力の巨大性ゆえにそれを『私的政府』(private government)に見たてることによって、その行為に憲法が直接に適用されるべきだと説くのが、政府類似理論(looks-like government)である。それに対し、一般には、多少ともより具体的に私人の行為を公権力と同視する説明を媒介として、私人の行為に憲法を適用することを主張する。」(樋口陽一・前掲122-123頁。)

 このように、アメリカのステート・アクション(State Action)法理といっても、その考え方にはいくつかの類型が含まれることになりますね。ステート・アクション法理・・・これも奥が深そうです。

 決して簡単ではない問題ですが、論文制作という目的の域を超えて、私のライフスタイルの一環となりうる予感もしています。「なにゆえ社会人が再び大学で法律を学ぶか」という価値観は人それぞれですが、少なくとも私の場合は、これまでのつたなく、かつ、しがない社会人としての経験に「法律」というエキスをミックスさせて、さらに仕事に活かすことができるように思われます。

 どんなにがんばっても、この道数十年の学者様にはかなうものではありませんし、また競争する必要もないですね。ですから、これまで培った「IT経験+法律」を元に、何か社会にお役に立てそうな道に導かれたら嬉しいと思っています。

 まだ見ぬ近い将来に期待しつつ、頭を垂れて、卒論とか卒業の枠を超えて、業務の一環としても日々できる研究を積み重ねていきたいと思います。


”So we fix our eyes not on what is seen, but on what is unseen.
For what is seen is temporary, but what is unseen is eternal.”
(2 Corinthians 4:18)

私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。
見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。
(コリント供。款錬隠言瓠