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ドイツを母国とする「国の基本権保護義務論」の考察 その1

 昨日は教会に集うことができ、自分の力を過信した生き方の問題についてなどを学ぶことができました。遠方からお客様もお見えになり、その方々のお証しを通じてさまざまなことを学ぶこともできました。週に一度、自分中心の生き方や考え方になりがちな私の人生の方向性を、まるで見えざる手により舵を取っていただいているように思います。

 
 卒業論文に関連して、前回は、西原先生の文献から以下の通り引用させていただきました。

 「基本権保護義務論に基づけば、私人間効力論で未解決だった最大の問題に答えることが可能となる。すなわち、私人間における人権保障の強度に関する問題である。直接効力説・間接効力説の論争は、人権規定の効力を及ぼす道筋の選択に関わるのみで、憲法上の人権がどの程度の強度で私人間において貫徹しなければならないのかに答えるものではなかった。」
西原博史「保護の論理と自由の論理」長谷部泰男・西原博史他編『人権論の新展開』岩波書店、2007年、298頁。)

 このように、国の基本権保護義務論は、日本での私人間効力論の通説たる間接適用説の「射程を拡充し再構成する試みとして近時注目を集めている」(只野雅人『憲法の基本原理から考える』日本評論社、2006年、182頁。)ようです。

 今朝は、基本権保護義務論の母国であるドイツでの状況を概観してみたいと思います。

 「ドイツの基本権論によれば、国家は、各人の基本権を自ら侵害してはならない(防衛権)ばかりではなく、各人の基本権法益を第三者による侵害から保護する義務を負う(基本権保護義務)。」(小山剛「イーゼンゼーの基本権保護義務論[解説]」ヨーゼフ・イーゼンゼー(ドイツ憲法判例研究会編訳)『保護義務としての基本権』信山社、2003年、238頁。)とされています。

 かつてと異なり、現代社会においては、「国の不作為・不介入は、ただちに現実の自由を約束するのではない」(小山剛『基本権保護の法理』成文堂、1998年、2頁。)ことから、他者(私人)による人権侵害にさらされている私人を保護するための作為義務を国に課す必要がでてきました。

 この点、基本権保護義務論の日本における第一人者である慶應義塾大学教授の小山剛先生は、代表的な著書で、次のように述べておられます。

 「私法は、対等当事者間の利益の調整を通じて基本権主体相互の自律的共存のルールを設定する。他の私人によって害されないことの保障が、法秩序のなかに自明のものとして組み込まれ、それが効果的に機能している限り、『他者による侵害からの自由』を、憲法問題として意識的に取り上げる必要はない。」
(小山剛『基本権保護の法理』成文堂、1998年、2頁。)

 ところが、私が卒業論文のテーマとして取り上げさせていただいているインターネット検索事業者などの、コンピュータ・ネットワークや、マスメディア、遺伝子工学などの発展がもたらす諸問題をかんがみると、

 「他者による侵害を規制する法律が制定されず、または、法律の付与する規制権限が適正に発動されない場合には、『他者による侵害からの自由』という問題設定が、あらためて意味をもつ。」
(小山剛『基本権保護の法理』成文堂、1998年、2頁。)

 ことになります。結果として

 「『疑わしきは自由の利益に』という単純な定式は、その通用力を失った。その解決のためには、国家からの自由という従来の軸に加えて、相互に衝突する基本権法益の適切な調整を可能とし、必要に応じてそれを国家に要請する、もう一つの基本権論の軸が構成されなければならない。」
 「(小山剛『基本権保護の法理』成文堂、1998年、2-3頁。)

 状況にあることを理解する必要がでてきました。

 では、基本権保護義務論だけでなく、わが国における私人間効力論の通説たる間接適用説の母国とされるドイツでは、この基本権保護義務論はどのように展開されてきたのでしょうか。

 「1980年代後半以降、私人間効力を基本権保護義務の一部であると理解し、私人間効力問題を再構成する新たな傾向が支配的 になってきている」(小山剛『基本権の内容形成 ― 立法による憲法価値の実現』尚学社、2004年、94頁。)とのことです。

 基本権は本来公権力に対抗して主張される性格のものであるが、現代の産業社会においては、 「政党・利益団体・新聞・大企業のいわゆる社会的権力から個人の自由を守る必要があり、そのために、基本権の第三者効力を認めるべきだ(「社会的権力」に対する基本権の主張を許すべきだ)」
村上淳一『ドイツ法入門〔改訂第3版〕』有斐閣、1997年、57頁。)

と説かれています。

 国の基本権保護義務は、国家、被害者、加害者からなる法的三極関係として描くことができ、国家に対して、加害者の侵害から被害者の基本権法益を保護すべき作為義務を課す法理です。

 これについて真っ先に問題となるのは、「私的自治を原則とする一般社会に対して、国家による過剰な介入が想定される」ということと、私は理解しています。

 この点を踏まえながら、ドイツにおける代表的な論者であるイーゼンゼー先生の保護義務論について考察していきたいと思います。

 (・・・ドイツを母国とする「国の基本権保護義務論」の考察 その2 へ続きます・・・)