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自己啓発や聖書に関する事等掲載中。引用聖句:新改訳聖書©新日本聖書刊行会 英文聖句:New International Ver.

「国の基本権保護義務論」の考察

 ロナルド・ドゥオーキン先生により提唱された「切り札」としての人権(Rights as Trumps)の勉強は、まだまだ時間を要します。翻訳本(『権利論』)を読んでいるのですが、やはり原書を読まないといけないように思い始めていて、「時間がかかってしまうな・・・」と自己葛藤中です(笑)

●「Rights as Trumps」(スタンフォード大学ウェブサイトより)
http://plato.stanford.edu/entries/rights/#5.1

 並行して、私の卒業論文の結論部(予定)の「国の基本権保護義務論」について再度考察していきたいと思います。

 慶應大学法学部教授の小山剛先生は、『基本権保護義務論』(成文堂、1998年)や、『基本権の内容形成』(尚学社、2004年)に代表される著書を通じて、「『基本権保護義務論』の日本における主唱者としての名声を欲しいままにしてきた」(西原博史「小山剛『基本権の内容形成-立法による憲法価値の実現」憲法理論研究会『”改革の時代”と憲法』敬文堂、2006年、197頁)といわれています。すなわち、基本権保護義務論の第一人者になりますね。

 本論に入る前に、余談ですが、小山先生のゼミのホームページがつい最近リニューアルされていました。私は通信生ですからゼミに入りたくても入れないのですけど、宣伝みたいですね(笑)。
http://www.clb.mita.keio.ac.jp/law/gokoyama/top.html

 さて、まずは私の理解するところでは、「基本権保護義務論」を批判的に捉えておられる西原先生のご意見を、上記に続き引用させていただきます。

 「基本権保護義務論に基づけば、私人間効力論で未解決だった最大の問題に答えることが可能となる。すなわち、私人間における人権保障の強度に関する問題である。直接効力説・間接効力説の論争は、人権規定の効力を及ぼす道筋の選択に関わるのみで、憲法上の人権がどの程度の強度で私人間において貫徹しなければならないのかに答えるものではなかった。」
西原博史「保護の論理と自由の論理」長谷部泰男・西原博史他編『人権論の新展開』岩波書店、2007年、298頁)

 この引用部だけをかんがみれば、西原先生が基本権保護義務論を批判的に捉えているようには思えませんが、その後の論述でさまざまな問題を指摘しておられます。

 基本権保護義務論は、ドイツから輸入されたものと理解しています。ですから、ドイツにおける基本権保護義務論を考察する必要があります。ですが、それだけで一本の論文になりますから、大変です。

 しかも、私の論文のメインテーマは、インターネット検索事業者による「検閲」と表現の自由であり、論文では、巨大な社会的権力者(私人)と市民の権利を比較衡量の上、結論部として私人間効力論へと論述しています。ですから、私人間効力論がメインテーマではないので、あまり基本権保護義務論に軸足を置きすぎると、全体のバランスが崩れる可能性がありますね。

 したがって、次回以降では、ドイツでの基本権保護義務論は概要程度にとどめ、日本にどのように輸入することを小山先生が試みておられたのか、その点をまずしっかりと考察していきたいと思います。

 数度斜め読みした時期は過去のこととして、ここまできましたら、文献に記述されている文言の細部について丁寧に気を留めながら、毎日できることを積み重ねていきたいと思います。

”See that you do not look down on one of these little ones.” (Matthew 18:10)
「あなたがたは、この小さい者たちを、ひとりでも見下げたりしないように気をつけなさい。」
(マタイ18章 10節)