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自己啓発や聖書に関する事等掲載中。引用聖句:新改訳聖書©新日本聖書刊行会 英文聖句:New International Ver.

国家と人権

 憲法上の権利条項を『適用』するとは、どういう意味なのでしょう? 」

という私人間効力論の根底をなす最重要ポイントを考察する上で、「憲法による権利保障の意義」について検討する必要があるようです。小山先生が提唱する「ドイツの基本権保護義務論」を深く研究する上でも、国の基本権保護について、基本を学ぶ必要があります。

 今朝も、長谷部先生の『憲法・第4版』新世社、2008年、97~100頁を中心に勉強していきたいと思います。

 憲法による権利保障の意義については、次の3点を考察する必要があるようです。

1.国家と人権
2.違憲審査制度
3.共通了解の基盤

 これら3点を検討する上では、例えば第一点目については「人権とはどのような権利でしょうか?」「国家とは何でしょうか?」ということがわかっていないと論述できませんね。芋づる方式による参考文献入手のように、憲法のたった一条文(憲法21条の表現の自由)を論述する上で、どんどんと勉強しなければならない範囲が広がっていきます。まさに、

 「論文テーマはとにかく狭く、しかし勉強範囲は広く」

という諸先輩からの貴重なご助言が、私にとってはいかに的を得ていたか、ということがわかります(それぞれの方において、例外や、異なる意見・主張は存在すると思いますけどね)。

 ちなみに、私の場合は、一年前は「論文テーマがとにかく広く、しかし勉強範囲は狭い!」状態でした(苦笑)。最近勉強すればするほど「論文テーマは狭くなったが、勉強範囲はあいかわらず狭い!」という状態ですね。しかし、「今」を嘆いても生産性がありませんから、自分の実力に背伸びせず、「毎日できる範囲の小さいこと」を丁寧に積み重ねていきたいと思います。


 本題に戻って、まず「人権」について考察してみましょう。長谷部先生によると、「人権とは、すべての人が人であることから当然に有する権利を意味する。」(前掲の『憲法』、97頁より)とあります。

 人権を憲法により保障する意味は、これまでは主に対国家の関係で考えられてきました。イギリスやフランスなど、巨大な権力を持っていた王室との関係で人権保障の要請が強く求められたという欧米の流れも影響しているのだと私は今のところ理解しています。

 権利については、アメリカの法哲学者である Hohfeld, W.N.以来、次の4つに区別されているとのことです。

1.自由 (liberty):何かをする義務/しない義務を、他人に対して負っていない事態。

2.請求権(claim-right):何かをする義務/しない義務を持つ他人に対して、その義務の遂行を請求すること。

3.権能(power):ある人がその意思により自己あるいは他人の法的地位を変更できること。

4.免除(immunity):権能とは逆に、他の人により自分の法的地位が変更されないこと。

 私の論文(憲法21条の表現の自由)に関して当てはめると、例えば

1.政治的意見を表明する「自由」を意味するだけでなく、
2.意見の表明を妨害する人々に対してその行為を止めるよう「請求する権利」、
3.その請求権を裁判所を通じて実現する「権能」、
4.立法府によりこれらの権利を奪われない地位(「免除」)。

という4つの性格を併せ持っていることになります。

 このような人々の権利や利益を守る上で、国家は、司法・立法・行政などの統治作用を通じて、国民の法的地位を変更しうる強大な権限を持ち、さらにその裏付けとなる物理的強制力を独占しているため、人権保障上、国家の権限を制限することは重要になります。

 しかし、対国家との関係、いわゆる市民の人権の防御権として憲法を考えると、憲法の役割の半分を理解したにすぎないとの指摘もあります。例えば、以下の小山先生のコメントはとても勉強になります。
http://www.clb.mita.keio.ac.jp/law/gokoyama/Professor.html

 すなわち、国家は市民の権利を実現する上で、とても重要な役割を果たす必要があると思われます。

 では、市民の権利を実現する上で、「国家はどのような義務を負う」と、憲法は示しているのでしょうか?

 「憲法上の権利条項を『適用』するとは、どういう意味なのでしょう? 」

という命題を解く上で、この課題を考察しなければならないようですから、次回はさらに根幹部分に入っていきたいと思います。


"Whoever can be trusted with very little can also be trusted with much,
and whoever is dishonest with very little will also be dishonest with much.”(Luke 16:10)

「小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、
 小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。」(ルカ16:10)