論文の結論部で述べる予定の「基本権保護義務論」に関する「ドイツの第三者効力」についてまとめています。
「基本権は、本来、公権力に対抗して主張される性格のものである。しかし、現代の産業社会においては、政党・利益団体・新聞・大企業のいわるゆ社会的権力から個人の自由を守る必要があり、そのために、基本権の第三者効 (Drittwirkung)を認めるべきだ(「社会的権力」に対する基本権の主張を許すべきだ)、と説かれている。この問題はなお争われているが、基本権を保障する趣旨は、少なくとも法律の解釈、とくに一般条項の解釈に生かされ、それによって間接的に私法秩序に影響を及ぼすべきだ、というのが通説である。」
(村上淳一『ドイツ法入門〔改訂第3版〕』有斐閣、1997年、57頁より引用)
昨夜は、「表現の自由」をまとめるにあたり、基本中の基本である
「表現の自由に言う『表現』とは、そもそも何を言うのでしょう」
という点を再度勉強していました。
ところで、論文最後のまとめ部分に、次の内容を書きたくなりました、なんとなく・・・。
「もし足や手に別々の意志があったら、それらは全体のからだを治めている第一の意志に、それぞれの意志を服従させないかぎり、秩序を保つことはできないであろう。そうしなければ、それらは無秩序になり、不幸になる。ただ全体の善を望むことによってのみ、それらは各自の善をなしうるのである」
(パスカル著・前田陽一・由木康訳『パンセ』中央公論新社、2007年、302頁より引用)
「ごく小さい運動も全自然に影響する。大海も一つの石で変動する。そのように、恩恵の世界でも、ごく小さい行為がその結果をすべてのものに及ぼす。ゆえに、すべてのものが重要である。」
(前掲パスカル『パンセ』317頁より引用)
人間の無限の可能性とともに、人間の果かなき有限性をも言い表しているのでしょうか・・・。
割り切れない現実のつらさ、はかなさ、そして、それらを受け入れないと前進できない現実を認識する必要があるのでしょうね・・・。論文で述べる、「人権獲得の歴史的変遷と現実の諸問題」にも当てはまると思いました。
今日も、できる範囲でがんばりたいと思います。
”those who hope in the LORD will renew their strength.They will soar on wings like eagles”
(Isaiah 40:31)
「主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。」