最近は、刑法総論と医事法のような通常のテキスト学習と並行して、「表現の自由」について参考文献を学習しています。とりあえず、『グーグル革命』でコメントが掲載されていた奥平東京大学名誉教授がお書きになった以下の三冊を学習しています。
『なぜ「表現の自由」か』、『表現の自由 供戞◆愀竫,魍悗屐迷4版〕』
「本体の議論は、道徳的・哲学的なレベルと憲法論的レベルとの交流のうちに展開しなければならないのであろう」
(『なぜ「表現の自由」か』9頁より)
と記載してありました。では「道徳」とは何でしょう・・・という点について妙に引っかかりました。そこで、今夜遅く帰宅した関係で遅めの夕食をとったのち、妻が読んでいた哲学関係(?)の本を横取りして先程まで読んでいました。
書籍名はパスカル著(既に亡くなられた前田東大名誉教授他訳)『パンセ』(中央公論新社、2007年)です。第七章「道徳と教養」より引用します。
「もし足や手に別々の意志があったら、それらは全体のからだを治めている第一の意志に、それぞれの意志を服従させないかぎり、秩序を保つことはできないであろう。そうしなければ、それらは無秩序になり、不幸になる。ただ全体の善を望むことによってのみ、それらは各自の善をなしうるのである」
(『パンセ』302頁より)
余談ですが、医事法レポートを書く上で、先ごろまで英米法レポートで勉強していた「自己決定権の問題(末期患者の生命維持装置門問題など)」も関連してきました。そこで、ロナルド・ドゥオーキン氏の本(ライフズ・ドミニオン)を再び学習していました。
分野は問わず、ロナルド・ドゥオーキン氏のように、法律と哲学双方について優れた方、あるいはその双方の価値を認め大切にしている方は、とても素晴らしいと思いました。上述の通り奥平先生もおっしゃっていますが、法律の問題と道徳的・哲学的な思想を双方大切にする必要があるのではないか・・・と思ったからです。そういう方がいらっしゃったら、大変だとは思いますが、ぜひともその道を究めていただきたいと願います。私にとっては不慣れな哲学話ですが、不慣れなことでも大切なのであれば、たとえそれが小さな歩みでも、一歩一歩着実に努力して習得していきたいと思います。
「ごく小さい運動も全自然に影響する。大海も一つの石で変動する。そのように、恩恵の世界でも、ごく小さい行為がその結果をすべてのものに及ぼす。ゆえに、すべてのものが重要である。」
(『パンセ』317頁より)
"and constant friction between men of corrupt mind,
who have been robbed of the truth and who think that godliness is a means to financial gain.
But godliness with contentment is great gain."
(1 Timothy 6:5-6)
「また、知性が腐ってしまって真理を失った人々、
すなわち敬虔を利得の手段と考えている人たちの間には、絶え間のない紛争が生じるのです。
しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。」