「やっと政治学の楽しさがわかってきました!」
昨日勉強していた『政治学』は、当初最もピンとこない内容でした。なにせ
「トマス・モーアとマキャヴェリの政治理論の比較考察」
「プロテスタンティズムの倫理が欧州の精神構造に及ぼした影響」
「カントの”定言的大法”と市民的自由についての考察」
というような学習テーマが行列をなしていて、これまでの私の社会人生活では全く無関心なものばかりです。
ともすれば「目の前の利益追求」に走ったり、自分中心の毎日を送りがちな私にとって、こういった「間口が広くどこから取り掛かったらよいかわからなくなる」学習は、心持ち一つではあっという間に挫折につながってしまうように思います。
ですが、政治学のテキストの最後の方に書いてあったことが、私に安心感と目的を与えてくださいました。
「登山の途中でしばしば歩みをとめて広大な裾野の景観を眺めながら一服する時間の必要性は、政治学を学ぶ上において充分考慮にいれてもらいたいものである。」
せっかく時間とお金を投資しているわけですので、ただ単位取得の道を一直線に行くのではなく、許容される範囲で寄り道もして、法律スペシャリストとして『骨ばかりではなく肉付けもしていきましょう』ということなのでしょうね。そのためにも、「政治学の基礎を学びつつ、歴史文学と宗教に関する論説をできるだけたくさん読む必要がある」ようです(個々人の目的によってはそこまでは必要なく、レポート試験&科目試験に合格して単位取得することを最速・最優先することが最も大切な場合もあるとは思いますが・・・)。
とくに民主主義の「精神」とは何かということになると、キリスト教の宗教的特質をどうしても考慮の対象としてとりあげなくてはならなくなるそうです。クリスチャンの私ですが、民主主義とキリスト教の関連性までは考えたことがありませんでした(・・・スミマセン!)
慶應大学法学部をせっかく卒業しても「実務には、さっぱり役に立たないなあ~」ということになっては、約20年前他大学を卒業した時の自分に逆戻りしてしまいますね・・・(苦笑)