言い尽くせない感謝

自己啓発や聖書に関する事等掲載中。引用聖句:新改訳聖書©新日本聖書刊行会 英文聖句:New International Ver.

「コミュニケーション論」レポ制作中です・・・

 論文でも勉強させていただきましたが、「コミュニケーション論」レポートを制作するにあたり、サンスティーン教授の文献などを再び勉強中です。

●キャス・サンスティーン(石川幸憲訳)『インターネットは民主主義の敵か』毎日新聞社、2003年

「検閲は民主主義や自由への脅威ではあるが、政府の検閲だけに注意を払いすぎると、死角ができてしまう。」(28頁)

「個人の見たいもの、聞きたいものをかなえてくれさえすれば、その情報通信システムは素晴らしい、というのは単純すぎる。」(30頁)

「同じ考え方の人たち同士の議論は、過剰な自信、過激主義、他社の蔑視、そしてときには暴力さえ引き起こすリスクがある。」(33頁)

「各自が一般向けのマスメディアを無視して、自分が聞きたい意見や話題だけに耳を傾けることになれば、そのシステムは深刻な危険に陥る、ということも指摘しようと思う。何千人、何百万人、いや何千万人という人たちが自身の声の反響を主に聞く事態になれば、リスクが高まることをとくに強調したい。このような事態は分裂よりはるかに悪い結果になる可能性が大だ。」(36頁)


小林節教授の文献
 以下は小林節教授の文献からの引用です。小林先生の講義を直接お聴きになった方であれば、おっしゃっているイメージを実感できると思います(笑)

日本の場合は、損害賠償の額といってもたいていの場合、何十万円しか得られないので、たったそれだけの「費用」で、本が売れて何千万円、何億円も儲けられるなら、ウソでもなんでも書いて儲けた方がトクということになりがちである。
 傷つけられたほうは、社会的信用を失うと同時に、会社をクビになったり、地域社会で生きていけなくなったり、一家離散したいするなど、物理的な損害と比べても、より深刻なダメージを被ることが少なくない。にもかかわらずその被害者のダメージに比べて、メディアの側は、痛くもかゆくもないほどの賠償金で済んでしまうのが現実である。
小林節憲法と政治』潮出版社、1999年、99頁より)


 このレポは「コミュニケーション論」の単位取得を目的とするものですから、政治・民主主義・表現の自由論へ大きくぶれないように心掛けたいと思いますが、せっかくですから論文にもプラスになるようにできる範囲でしっかりと勉強したいと思います。



 「表現の自由」論といえば、昨今可決された「有害ネット規制法案」が、まさに「表現の自由を侵害する」というような白熱した議論を生んでいますね。これまでの学術研究を積み重ねた上で、現在進行形の問題に対する「解」を導き出すことが出来るか・・・。これも、私に課せられた「導き」。


 さてそろそろ出勤準備の時間ですから、勉強はおしまいです。「男」である前に「父親」として、まずきちんとすべきことをすることを今日も忘れず、一日をスタートしたいと思います。今朝は、有名な聖句(マタイ・セブン&セブンと私は呼んでいます)から・・・

"Ask and it will be given to you; seek and you will find; knock and the door will be opened to you.”
求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。
(マタイ 7章 7節)