「AI」
を、ローマ字読みで「アイ(愛)」とかけていました。
昨日の礼拝では、「愛に生きる」ことについて、改めて学ぶことができました。
御言葉に生きることが、いつの間にか御言葉に生きなければならないと義務的になっている場合があります。
また、どこかで人を愛せない、人を赦せないところがあるため、人に厳しくあたり、相手の人格を傷つけてしまうばあいもあります。
人に対して関心が薄くなり、自分のことだけしか考えられなくなる場合もあります。
クリスチャンであれば、自らそういった愛の足りない者であることに思い悩み、無理やり人を愛そうとすると、自分の欲を中心に行動してしまうこともあるため、結局人を傷つけ、自分自身のこともいやになる場合もあります。
神の愛、キリストの愛が先、すなわち神様が私のような者を愛してくださった、そしてその神様の愛された人なのだから、その人を愛していく、ということを忘れないように、かつ、 「愛」と聞いて、すぐに自ら行動に走ってしまわないように祈ります。