思うところがあって、頭の中では少々スローダウンしたほうがよいように感じました。
受忍しがたい出来事に直面することは少なくありませんが、心と身体にできる限りゆとりをもっていると、こうした出来事が意外と自分の益になっていなくもないという捉え方ができるように思います。
目の前に起きるこうした出来事に対処しつつ、
「近い将来どうあるべきであるか、今後の社会等に対してなにか貢献できることはないか、思い巡らしなさい」
という導きではないかと思慮するゆとりをも、心と身体に持ち続けたいものです。
昨日は教会に無事集うことができてハッピーでした。
いろいろと大変なことがあったことについても、おもいがけず報われたこともありました。
ただし、それは私の力ではなく、神様の大いなる恵みの中で与えられた出来事です。
Praise the Lord !
”Not only so, but we also rejoice in our sufferings, because we know that suffering produces perseverance;
perseverance, character; and character, hope.
And hope does not disappoint us”
(Romans 5:3-5)
そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、
忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
この希望は失望に終わることがありません。
(ローマ5:3-5)