言い尽くせない感謝

自己啓発や聖書に関する事等掲載中。引用聖句:新改訳聖書©新日本聖書刊行会 英文聖句:New International Ver.

「貪欲」について、「信仰を持つということと、欲求」について

 昨日からは、論文で取り上げた課題について、求められる立法政策について研究を開始しています。その上では、まず

 小山剛先生の『基本権の内容形成』(尚学社、2004年)の復習の他に、

 駒村圭吾先生の『ジャーナリズムの法理-表現の自由の公共的使用』(嵯峨野書院、2001年)

も復習しています。駒村先生の上記文献からは、私の論文製作において、大きな影響を与えていただきました。特に、第1章の「表現の自由とマス・メディア」における「表現の自由を保障する根拠」や「多様な情報の流通という社会的利益」について、インターネット検索事業者に当てはめて考察することができたことは、私にとってかなりインパクトのあることでした。

 今夜は、サンタクララバレー中尾牧師先生の最新メッセージを拝読していましたが、身につまされる部分がありましたので、引用させていただきます。

●中尾牧師先生の最新メッセージより(やや長めに引用させていただきます)
http://penguinclub.net/nakao/sermons/prov/prov30-7.html
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(1)「貪欲」について

オバマ大統領は、先月の就任演説で、greed(貪欲)という言葉を使いました。"Our economy is badly weakened, a consequence of greed and irresponsibility on the part of some."(一部の人々の貪欲と無責任の結果、アメリカの経済は弱体化してしまった。)と言って、社会全体の利益を考えないで、自分たちの利益だけを考えてきた投資家や資本家の greed(貪欲)を非難しました。私たちは、オバマ大統領が非難した大資本家ではなく、ごく普通のつつましい生活をしていますので、「貪欲」と言われても、ピンと来ないのですが、私は、不平や不満ばかりで、感謝のないことも、形を変えた「貪欲」ではないかということに気がつきました。神が必要なものをすべて与えておられるのに、不平不満ばかりを口に出してしまうことが多くあります。不満ばかり言っていると、神が与えておられる恵みまで見失ってしまいますから、気をつけたいと思います。また、私たちは、すぐに、自分と人とを較べて、人の持っているものをうらやんだり、自分は駄目だと思い込んでしまいがちです。

 
(2)「信仰を持つということと、欲求」について

よく、信仰を持つということは、どんな欲求も捨て去ることだと考えている人がいますが、そうではありません。信仰を持つということは、すべての願いを捨てて、人生をあきらめることではないのです。また、欲望は抑え込もうとしても、できるものではありません。かならず、別の形で表れてきます。聖書は欲望のままに生きることを禁じていますが、禁欲的でありさえすればそれで良いとは言っていません。表面は禁欲的でも心の中では醜い欲望が渦巻いていたり、道徳的に見えながら恐ろしい悪が隠されていたり、献身的なようでいて人を自分のコントロールのもとに置こうとしたりということが現実にあるのです。
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 人間の本質を突いておられるようなメッセージであると思いました。きっちりと自省したいと思います。

"Since you are precious and honored in my sight, and because I love you" (Isaiah 43:4)
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ 43:4)