言い尽くせない感謝

自己啓発や聖書に関する事等掲載中。引用聖句:新改訳聖書©新日本聖書刊行会 英文聖句:New International Ver.

タラント(古代ヘブライの貨幣単位)→タレント

 今日も教会に集い、牧師先生のメッセージなどを通じてさまざまなことを学ぶことができました。

 私にとって教会に集うことは、過去一週間の自己中心的な言動を悔い改め、この一週間をできる限り神様に喜んでいただけるようなことができるような、軌道修正とパワー充電のための最高の機会となっています。

 ところで次の日曜日は、急遽、聖歌隊のメンバーの一人として礼拝中に賛美をすることになりました。なにせハ長調以外の楽譜を理解することが困難な私ですから、練習時間の無さに「無理です・・・」となるところですが、このように音楽の実力が無いに等しい私のような者のことも、なんとか他のメンバーの皆様にご迷惑をお掛けしないように神様は守ってくださるらしいです・・・・感謝です。来週日曜日に、健康と安全のうちに無事教会に集いうことができるよう祈る次第です。

 今月のクリスチャン新聞における佐藤綾子博士の連載は、「ほめ上手、しかり上手になろう」でした。その中で、新約聖書マタイ25:14~の「タラントの活かし方」について触れておられました。主人が召使いに5タラント、次の召使いに2タラント、最後の召使いに1タラントを渡して旅に出た有名な話です。それぞれの召使いが、主人から預かった「タラント」を主人が旅から帰ってくるまでにどのように活かしたか、という話を通じて、貨幣単位であったタラントが英語に入り、個人の才能をあらわす単語になっていったとのことでした。私個人としては、とても興味を持ってこの記事を読みました。

 牧師先生のメッセージも、やはりマタイの福音書(6章)についてでした。マタイ6章は、『Audio Bible』を購入し英語耳トレーニングで繰り返し聴いた箇所(5-7章)の一つでもありますから、他の聖書箇所に比べて、比較的印象に残っています。

 まず6章第1節目では、「人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。」と示されています。人間の心の本質を突く様な箇所からこの6章ははじまっているように思います。

 さらに3節目では、「施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。」と示されています。誰かに何かをして差し上げるときは、誰かに見せるようにするのではなく、自分自身でさえ気付かないようにしなさいということと解します。

 5節目では、「祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。」と示されています。

 9~13節では、「こう祈りなさい」と示されています。

 14~15節では、「もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。」と示されています。これを守り実行するのは、私にとっては決して容易ではありませんが、もしこれを守り実行できる機会が今後増えるような人間に変わっていくことができるのであれば幸せですね。

 今回の聖句は、上記マタイ6章14-15節で示されている内容について、さらに繰り返し強調されている箇所を記載したいと思います。今夜は、きっちりと自省したいと思います。


"Do not judge, or you too will be judged.
For in the same way you judge others, you will be judged, and with the measure you use, it will be measured to you.
"Why do you look at the speck of sawdust in your brother's eye and pay no attention to the plank in your own eye?
How can you say to your brother, 'Let me take the speck out of your eye,' when all the time there is a plank in your own eye?
You hypocrite, first take the plank out of your own eye, and then you will see clearly to remove the speck from your brother's eye.
(Matthew 7:1-5)

さばいてはいけません。さばかれないためです。
あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。
また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁(はり)には気がつかないのですか。
兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください。』などとどうして言うのですか。見なさい、自分の目には梁があるではありませんか。
偽善者たち。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます。
(マタイ7章1-5節)