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自己啓発や聖書に関する事等掲載中。引用聖句:新改訳聖書©新日本聖書刊行会 英文聖句:New International Ver.

国家の基本権保護義務

 今夜も、小山先生の『基本権の内容形成』の勉強です。

 小山剛『基本権の内容形成 ― 立法による憲法価値の実現』尚学社、2004年、217頁以下より復習します。

 先日記載しました通り、基本権保護義務論によると、国家は、国家、加害者である私人P1、被害者である私人P2の法的三極関係により、P1の基本権に対する過剰侵害の禁止と、P2の基本権に対する過少保護禁止を同時に取り込み、P1とP2の基本権的地位を適切に調整し比較衡量しなければなりません。

 基本権保護義務は、国家に対して不作為ではなく作為義務を課し、立法者を第一の名宛人とします。理由は、次の2点です。

(1)基本権保護義務は、憲法の次元では目的を定立するだけで、その目的をどの程度実現するか、そのように実現するかは、法律による具体化に委ねられています。

(2)法的三極関係において基本権の保護は、加害者である私人P1の権利と自由を制限する、すなわち、加害者である私人P1の基本権法益を侵害することにより実現されるため、その侵害的側面によっても立法者の関与を必要とします。


 しかしながら、法律による具体化に委ねるといっても、「立法者に対する白紙委任」(前掲、222頁)を意味するものではなく、

・加害者P1との関係では、「過剰侵害の禁止」により立法者の形成の余地の上限
・被害者P2との関係では、「過少保護の禁止」により立法者の形成の余地の下限

を画されます。

 このように、基本権保護義務の立法者による具体化は、「高度に法創造的な活動」(前掲、223頁)です。

 したがって、「基本権保護義務の効果的な実現は、立法者が憲法による拘束をどこまで認識に、単なる政治的妥協ではなく基本権政策としての立法を自覚するか」(前掲、223頁)にかかっています。


 基本権保護義務論は、伝統的な憲法観である「国家からの自由」を無にするわけではありません。基本権保護義務論は、国家に対して、「国家からの自由」のための「防禦権との関係で許容される上限を超えた侵害を授権するものではないし、侵害の形式的要件である法律の留保を免れる侵害名義となるものでもない」(小山剛『基本権保護の法理』成文堂、1998年、332頁)のです。


 とても奥が深い理論であると思われることから、私にとっては、今後も継続した研究姿勢が求められると思いました。


”you will call upon me and come and pray to me, and I will listen to you.
You will seek me and find me when you seek me with all your heart. ”
(Jeremiah 29-12-13)

「あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。
 もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。」
(エレミヤ 29:12-13)