ようやく、かなり重荷となっていた業務の区切りが付きました。ちょっとだけコーヒーブレイク・・・。
昨日は、なんとか、クリスマス賛美第一弾をフィニッシュすることができました。他のテナー・パートの方だけでなく、他パートの方も励ましてくださいます。聖歌隊メンバー以外の方も応援してくださいます。
どうしてこんなに教会の皆様は、私のような音符の意味をほとんどわからない人間をも、温かく、優しく聖歌隊に迎えてくださり、楽しく気持ちよく私が歌うことができるように支援してくださるのでしょうか・・・。同じクリスチャンとして、本当に頭が下がる思いです。
24日夜に、5曲賛美する予定ですから、皆さん、私が無事歌うことができるかどうか心配だと思います。でも、どなたも軽々しく「大丈夫ですか?」とか「きっとうまくいきますよ!」ということはおっしゃいません。その人特有の悩みはその人にしか実感できないことや、軽々しく慰めの言葉をかけてもその時は落ち着くかもしれないが、その分一人になったときに余計に不安になったりするものだからかもしれません。
昨日の牧師先生のメッセージでも、そういったことを学ぶことができました。さまざまな理由により深い悲しみの真っ只中にある方に、慰めの言葉をかけようにも、本当にその方の気持ちを理解できない人には真の慰めの言葉を伝えることは困難であることを学びました。
例えば、家族を失った人の気持ちは、その経験をした人にしかわからないものですし、ご自身が重い病に冒されている人には、その当事者になった人にしかその痛みはわからないものです。だからといって何もしないわけではないのですが、本質的には、その当事者ではない人に、「言葉をもって慰める」ことは困難であるということであると理解しました。慰めたつもりの「言葉」が、思いもよらずかえって傷つけたり、気分を害してしまったり・・・「言葉」の重要性は認めるものですが、「言葉」を持って「愛」を伝えるのは簡単ではないです。
もう一つ牧師先生から教えていただいたとても大切なことがあります。私もクリスチャンになる前は
「クリスチャンって、なにか立派な人にならないといけないみたいで、あれもだめ、これもだめじゃ、人生楽しく過ごせないからいやだなー。もっと人生エンジョイしなくちゃね~。」
そう思っていました。慶應大学で法律を学ぶ現在の私の浅学の身ゆえの理解と同様、聖書をちょっとかじっただけで「聖書とは、こういうことだ!」と自分自身を納得させた程度の理解しかしていませんでした。
「日々多くの恵みに喜びつつ、従う」ことを理解して暮らすか、
それを理解せず「~しなければならない」という律法的な生き方をして暮らすかは、とても大きな違いですね。
●サンタクララバレー中尾牧師先生の最新メッセージより抜粋して引用させていただきます。
http://penguinclub.net/nakao/sermons/1thess/1thess2-1.html
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マザー・テレサは言いました。
人々は忙しすぎます。
何かに夢中で時間がなくて微笑みを交わす暇さえありません。
食べ物に飢えた人ならば
食べ物を与えればその飢えは満たされます。
けれども孤独な人の心の飢えは、もっと深刻なのです。
愛への激しい飢え
誰もがその苦痛や孤独を経験します。
家族の中にもいるかもしれない「飢えた」人々を見出し、愛し、
愛を行いに移すのです。
行なってこそ「愛」なのです。
小さな女の子が、クリスマスの朝、たくさんのプレゼントを開けていたとき、突然、言いました。
「私はこんなにたくさんプレゼントをもらったけど、神様には、何もプレゼントをあげなかたわ!」
私たちは、この女の子が気付いたことに気付いているでしょうか。
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クリスマスを前に、自分中心の生き方をしている自分を反省しながら、「日々多くの恵みに喜びつつ、従う」ということを忘れないようにするとともに、米国憲法の研究を継続していきたいと思います。
●私の母教会(GVBC)の大谷牧師先生のメッセージより:「愛し合う理由」
http://gvbc.info/pastor/pastor-feb2005-01.html
”Love is patient, love is kind. It does not envy, it does not boast, it is not proud.
It is not rude, it is not self-seeking, it is not easily angered,
it keeps no record of wrongs. Love does not delight in evil but rejoices with the truth.
「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。
礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、
人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます」(1コリント13:4~6)。