言い尽くせない感謝

自己啓発や聖書に関する事等掲載中。引用聖句:新改訳聖書©新日本聖書刊行会 英文聖句:New International Ver.

「憲法上の権利条項を『適用』する」ということの意味

 昨日は、聖歌隊のメンバーとして教会で賛美させていただきました・・・超難関の「感謝します」。妻の力を借りないと、とてもとても手に負えない曲でしたので、自宅で少々レッスンして臨みました。

 礼拝が始まる前に、聖歌隊の方に「すいません、足を引っ張らないようにします」と申し上げたところ

 「いえいえ、(聖歌隊に参加してくれたことは)大いなる力ですよ♪」

 と、とてもあたたかいお言葉を返してくださりました。

 こんなに自信のない状態でどうしよう・・・と思っていましたので、そのお言葉に救われましたよね。本当にステキな方々です。

 いよいよ本番の賛美タイムになった時、隣で座っていた妻には

 「(うまくは歌えないけど)感謝の気持ちを込めて賛美してくるな」と言って本番に臨みました。

 結果としては・・・感謝の気持ちが溢れ出て、3番の歌詞に入る前に自然とこみ上げる熱い想いが、両目から溢れ出そうになりました。不思議な感覚でした。

 細かな点はところどころ問題はありましたが、なんとか乗り越えさせていただいたというのが正直な感想です。

 余談ですが、「次は聖劇隊に入りませんか」というありがたいお誘いもいただきました。「劇」・・・もう何十年もやってませんよね・・・

 聖歌隊と同じく、聖劇隊も、教会内部だけでなく、福祉施設等に足を運び、喜びを分かち合う等のとても大切な役割を担っていると思います。さすがに、確約した時間を割くことのできない私なので聖劇隊に参加することは困難だと思いますが、とても興味がある働きであるのは事実ですね。

 礼拝中のメッセージも、とても勉強になりました。「私はこんなに長年あなたのためにがんばってきたじゃないですか?」という発言から、その当事者は「心からつくしてきたのではなく、がんばっていない人への対比として当事者自身を正当化するために、(見た目上)がんばってきたのです」

という、人間の心の中の核心をつくようなメッセージでした。

私自身も、特に20代、30代のときは、

「こんなにがんばったのに、どうしてこんな評価しかもらえないのですか?」
「こんなに陰ながらがんばっているのに、どうして皆はわかってくれないのだろう?」
「わたしはこんなにがんばっているのに、あの人は楽をして上司に取り入ろうとしている」

などという気持ちになったことは少なからずあったと思います。それ自体が高慢な態度・心持ちでしたね。もちろん、今もそのような気持ちが顔を出すこともあると思いますから自省します。

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憲法上の権利条項を『適用』するとは、どういう意味なのでしょう?」

 出勤まであまり時間がなくなりましたが、今朝も長谷部先生の『憲法・第4版』新世社、2008年、135~136頁を中心に勉強して、いよいよ、私人間効力論の最重要ポイントである上記命題の解き明かしをしていきたいと思います。

 第一に、憲法上の権利条項は、私法上の多くの規定と異なり、それぞれの事案を「all-or-nothingで解決する具体的で切れ味の鋭い準則(rule)ではなく、一定の方向に結論を導く傾向的な力を持つ原理(principle)を定めるもので、同時に複数の方向に結論を導く複数の原理が互いに衝突することは珍しくない」(前掲『憲法』135頁)のです。

 この「原理」については、私の卒業論文(草稿)にもドイツにおける有力な学説(アレクシー説)をもとに、以下の通り記述しています。

 「基本権規範には確定的な当為(義務、あるいは義務に還元され得る、禁止、許可、権利などのこと)を表現する『ルール』のみならず、『原理』としての法的性格が認められるものであり、『原理』とは、「あるものが、法的および事実上の可能性双方との相関において、可能な限り高い程度において実現されることを要請する規範であり最適化命令という性格を持つもの」
(松原光宏「私人間における権利の保障」小山剛・駒村圭吾編『論点探求 憲法』弘文堂、2005年、90頁以下。)


 私人間効力については、「憲法の人権や基本権の尊重に関する趣旨を間接的に関連づけることにより、公法と私法との規制の範囲や推論の過程を正確に区別することとし、直接的に私人関係に適用することで、当事者の一方に偏した拡張解釈による過大な憲法の利用と論理の飛躍とを抑制しようとする」(田口精一『基本権の理論』信山社、1996年、295頁以下。)間接適用説 が通説であるとされています。


 しかし、憲法を直接「適用」するということは、私法条項を「適用」することとは上記の通り違う意味を持ちますから、憲法の「直接適用説」と、抽象的な法原理を規定するにとどまる私法上の一般条項の解釈に憲法条項を勘案する「間接適用説」とは、それほど大きな違いが存在するわけではないということになります。

 次回は、「憲法上の権利条項を『適用』する」意味を考察する上で、「私人とは、いったい何者であるか」という問題を考察していきたいと思います。



"Be careful not to do your 'acts of righteousness' before men, to be seen by them.”
「人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。 」(マタイ6章 1節)