言い尽くせない感謝

自己啓発や聖書に関する事等掲載中。引用聖句:新改訳聖書©新日本聖書刊行会 英文聖句:New International Ver.

我が家のアメイジンググレイス―傷が真珠に変わる時― その3

 横田映代さんの『我が家のアメイジンググレイス』は、妻が大変お世話になっている方からお借りしていた本でした。この本との出合いを作ってくださったことに本当に感謝しています。

 ところで「我が家(私およびその家族)のアメイジンググレイスは?」といえば、「次のステップのことであまり悩まなくなってきた」ことでしょうね、小さいことですが。

 もちろん月並みに「ああしたい、こうしたい、ああなったらいい、こうならなければいい」という望みが全くなくなったわけではありません。また、日々一歩一歩前進することや、考えることをやめたわけでもありません。

 ただし、あくまでも私たち自身のこれまでと比べて、必要以上に悩んだり、長きにわたり期待して疲れたりすることにより、夫婦喧嘩したり、子供に知らず知らずピリピリした感覚を与えたりする度合いは、少しずつではありますが減少してきているように感じます。

 今夜も、「これどうする?」「・・・導きがあればな」「そうだね」・・・悪く言えば「いい加減さが増した」ともいえます(笑)。しかし、よくよく考えて実行しても、それがその通り行かないことも結構ありますし、期待しすぎるとその反動も大きくなってしまいます。また本書で

 「人間としての、土台のもろさによって、遥かに大きな苦しみを味わってきたのでした。

 と著者がおっしゃっている通りの状況が次から次へと押し寄せてくることに繋がっても困りますしね。なぜなら、

 「もともと一人一人の中に潜んでいた自己中心性や、病んでいる相手の弱さを受け入れることのできない心、相手を自分の思い通りに変えようとする心、自分が受けることばかりを望み、それが満たされないと一方的な被害者意識に陥ってしまう心などが、苦しい状況の中で次々と苦い芽を吹き出し、家族全員を長年蝕んできたのでした。」 
(横田映代著『我が家のアメイジンググレイス』161頁より引用)

 という箇所を一昨日も引用させていただきましたが、「自己中心性」や「相手の弱さを受け入れることのできない心」・・・などをたっぷりと持っていますし、私の場合。そのような心や「自分が抱いているコンプレックス」をベースに、「あの人をいずれ見返そう、あの人に自慢しよう」などと考えつつ、自分の今後の身の振り方に望みをいだき、それを自分の理論で正当化しつつ行動しても、結局うまくいかなかったり、時間と労力を費やしたわりに、つまらない結末に終わってきましたしね、実際のところ。
 
 先程までは、明日の試験科目(医事法、改訂・民事訴訟法)の復習をしていました。今やるべきことがしっかりできたとは思いませんが、とりあえずやれることはやりました。後は明日試験会場に無事到着できるよう、午前中の仕事をきちっと取り組みたいと思います。

 本日は、明日から科目試験だというのに慶應大学の小山先生と大沢先生の憲法関係の著書、庄司先生のEU関係の著書がようやく手に入り、とてもハッピーな気持ちになりました。「2日間の科目試験を乗り越えたら、これらの本を読んで勉強できる!」と思いましたら、嬉しくて仕方ありませんでした。さらっと斜め読みしただけで、とても嬉しかったです。

 反面、少々悲しい話も耳にしました。仕事でもいろいろありました。自分が生きていることで、わずかでもそういった方々のお役に立つことができれば幸せに思います。

 ”If anyone has material possessions and sees his brother in need but has no pity on him,
 how can the love of God be in him? ”(1 John 3:17)

 「世の富を持ちながら、兄弟が困っているのを見ても、あわれみの心を閉ざすような者に、どうして神の愛がとどまっているでしょう。」
ヨハネ 3章17節)