日経ビジネスコラムで、たまたま興味深い記事をみつけました。
●『安倍前首相の弱さは、オール日本人の弱さではないのか』
http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/nbonline.cfm?i=2007092800025cs&p=3
(以下は、上記サイトより一部抜粋して掲載させていただきました)
『・・・19世紀から20世紀の前半にかけて、多くの日本の若者が海を渡り、米国で、また英国で青春の日々を過ごし、高い英語力を身につけて日本に帰った。中には、松岡洋右のように米国への愛憎半ばする私情が判断を狂わせたような例もあり、異文化に拮抗する胆力が不足していた悲劇もあった。
だが、冒頭紹介した吉田や白洲だけでなく、ジョン万次郎、津田梅子、内村鑑三など、近代の日本の歴史において、米英を相手に信念を貫き通した人間も多い。彼らは皆、人格形成期に米国や英国を全身で経験し、それ故に異文化に負けない強靱な人格や交渉力を身につけている。・・・』
最近の私は、Google社の提供するサービスについての法的諸問題について研究しているわけですが、その提供中&開発中の新しいサービスについての素晴らしさを目の当たりにしています。
さらに、飛びぬけて優秀な法律のプロフェッショナルを担当として、Google社は訴訟案件対策のみならず、競合他社に対しての法的な戦略を実行している点にも目を見張るものがあります。
Google社の法的諸問題はたしかに存在するようですが、それを超越して、Google社の素晴らしさを実感してしまうのも、Google社のすごさなのかもしれません。
こういう秀逸な米国企業と競争していくための人材育成は、そう簡単なことではないと思いました。
ましてやそのGoogle社の法的諸問題を短期間でまとめることができるなどと、考えること自体無理があります。
しかし勉強を日々積み重ねていく過程で、Google社を批判するのではなく、Google社の提供するサービスの素晴らしさや法的アクションの秀逸さを学ぶことができるように思います。
さらに、座学で勉強中の英米法について、実務面を通じてさらに深く学ぶことができるかもしれません。
”If anyone thinks he is something when he is nothing, he deceives himself.”(Galatians 6:3)
『だれでも、りっぱでもない自分を何かりっぱでもあるかのように思うなら、自分を欺いているのです。』