人の熱心な思いや行動が、他人によく思われることが中心になることで、不協和音の発生する原因の一つになるようです。
例えば、献金という行為についても、捧げるものは神への感謝と喜びで行うことのはずですが、
「このくらいの金額の収入の場合はこのくらいの献金額でないと・・・」
というように、まるでこの世の決まりごとのようになり、献金そのものに臨む心の中が真の感謝と喜びに満たされない場合があります。
聖書では、献金する金額の大小が、神様からの祝福の大小に相当するということは書いていません。
献金に関する自分や他人への不満と同様のこととして、奉仕する内容や量が挙げられると思います。
前回、
ということを記載しました。
改めて、自省します。
”Do everything in love.” ( 1 Corinthians 16:14)
「いっさいのことを愛をもって行いなさい。」(コリント Ⅰ 16章 14節)