昨日は、無事教会に集うことができました。
いつもそばにいてくださる神様に従っていれば、神様が目的のために私たちを用いてくださることなどを改めて学ぶことができました。
私自身の価値判断では受忍しがたい出来事に遭遇しても、結果的にそれらも私にとって益となっています。
あるいは、とてもわかりやすい形・成果をもって、神様がなんらかの目的の成就のために祝福を与えてくださる場合もあります。
このように、神様は次に私に対して何をなして下さるのか、ごくごく自然にとても楽しみになるものだということを牧師先生もおっしゃっていたように理解しました。
神様に対してできるだけ忠実に生きることは、禁欲生活を追及するということみたいで窮屈だし自由に生きることができないと以前は思っていた私がいました。
その程度の私の頭で(いわば小手先で)理解できる内容でしかなければ、何千年にもわたって世界中が神様・ジーザスを求め続けることにはならないでしょう。
”Do you see a man wise in his own eyes? There is more hope for a fool than for him.”
(Proverbs 26:12)
「自分を知恵のある者と思っている人を見ただろう。彼よりも、愚かな者のほうが、まだ望みがある。」
(箴言 26:12)