言い尽くせない感謝

自己啓発や聖書に関する事等掲載中。引用聖句:新改訳聖書©新日本聖書刊行会 英文聖句:New International Ver.

「救いのあかし」原稿

先月、教会でスピーチさせていただいた際の原稿を記録として留めておきたいと思います。
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 私は、イエス・キリスト、神様とは無縁の環境に育ちましたが、今では神様からの恵みに感謝してばかりです。私の心の真ん中、いわば心の王座を神様に明渡すことで、神様は私をリモコン操作するように危険な道から救ってくださり、恵みの道を歩ませてくださいます。
 例えば、後から振り返ればその行為をやめるべきであったときには、私が予期せぬ電話や来訪者でその行為を遮ったり、電子メールやFAXを送信できなくしてくださいます。その時点では受け入れがたい結果だとしても、後日振り返れば最も良い結果になります。
 反対に、神様からの導きに従わず私の欲得で強引に事を進めると、痛い目にあっています。
 このような私ですが、クリスチャンになる前は、
「男たるもの、イエス様、神様にすがって生きることは恥ずかしい」
「現代の科学で証明できない神様を、信じろというほうが無理でしょう」
「罪を悔い改めよ、というけれど、犯罪を犯していないから、そういわれても困る」
と思っていました。では、このような私が、一体どのようして教会に集い、イエス・キリストを救い主として信じるようになったのでしょうか。
 
 30代半ばにカリフォルニアで仕事をすることになり、忘れもしない2001911日、いわゆる同時多発テロの日に、妻と生後5ヶ月の長女を連れて飛行機に乗りました。着陸はできたものの、炭疽菌テロなどにおびえるそれからの大変なアメリカ生活が始まりました。
 異国の地で仕事がスムーズに進むわけもなく、「このままではまずいな」と思い始めた頃、渡米時お世話になった日系三世のクリスチャン男性から教会に誘われました。断る理由もありませんでしたので教会に集ってみると、高齢の方が皆さん若々しく笑顔に溢れていて驚きました。さらに、教会の皆さんがとても親切にしてくださるので、その純粋さに戸惑いつつも、自然と教会の中に溶け込み始めました。
 このように、イエス・キリストを救い主として受け入れた方々の、愛と喜びに溢れた行動や姿を通じて、「この人たちのようになりたい」と自然に思うようになったため、聖書を真剣に読み始めたところ、流されることなく、今の自分をしっかり生きるために必要な言葉が、聖書のなかには数えきれないほどちりばめられていることがわかりました。
 また、現代の科学で証明できることはごくわずかであり、数百年後には今の常識が過ちであることも多々あるのに、聖書は長年にわたって不変な存在でありつづけることから、私が理解できなかった神様の存在を認め始めました。
 罪とは、「人間が作った刑法でいう罪」ではないことも少しずつ理解し始めましたので、「私はいつか洗礼を受けて、クリスチャンになるかもしれない」と思うようになりましたが、あえて洗礼を受けるまでの気持ちには至りませんでした。
 しかし、「男が神様にすがるのは・・・」などと言ってはいられない、神様を恐れるような出来事や恵みの数々を与えていただきましたので、20026月の礼拝後に洗礼を受けたい旨申し出ました。
 妻には、その夜、洗礼を受けることを告げましたが、泣いて反対されました。夫婦喧嘩になりましたが、よちよち歩きし始めたばかりの長女が間に入ってニコニコ笑い始めた姿をみて、私も妻も喧嘩をする気が失せました。
 そんな妻ですが、初孫になる長女が産まれる前に若くして天に召された妻の父が残した
「たとえおまえの考えでは間違っていると思っても、だんなさんに従いなさい」
というなんともありがたい言葉により、私と信仰生活を共にする決意も込めて、三ヶ月遅れで洗礼を受けることになりました。
 カリフォルニアで何をしてきたかといえば、はじめて教会に集い、夫婦で洗礼を受け、  それ以外はなにもせずに帰ってきただけでしたが、その後の恵みの数々を振り返れば、私と家族の人生のために最も大切なモノをいただくことができました。
 
 身に余るギフトをいただいたとき、独り占めしないでお知り合いの方に分けてあげたいという気持ちになることはありませんでしょうか?
 そういう自然な気持ちから、私の子どもを含めて一人でも多くの方にイエス・キリストを信じていただき、どこでも、いつでもそばにいてくださる神様からの恵みの数々を、是非とも遠慮せずに受け取っていただきたいと願います。幸いなことに、長女は「日曜日に教会へ行くことが、一週間の中で最も楽しい」と言っており、毎週教会に足を運ぶことを楽しみにしています。
 
「強くあれ。雄雄しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。 あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」(ヨシュア記1章9節)
以上

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 今日は、ある出来事を通じて、あらためて以下の聖句の大切さを実感することとなりました。
 Praise the Lord !!

”Do not judge, or you too will be judged.
For in the same way you judge others, you will be judged,
and with the measure you use, it will be measured to you.” (Matthew 7:1-2)

「さばいてはいけません。さばかれないためです。

あなたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、
あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです」(マタイ7:1-2)