クリスチャンであれば、数え切れないほど、主の祈りを捧げていると思います。
今日は、その主の祈りの第一番目について学ぶことが出来ました。
今回も引用させていただきます。
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『ハイデルベルク信仰問答』の学び 問122
https://www.jesus-web.org/heidelberg/heidel_122.htm
実際『信仰問答』は、この願いを次のように言い換えています。「第一に、わたしたちが、あなたを正しく知り、あなたの全能、知恵、善、正義、慈愛、真理を照らし出す、そのすべての御業において、あなたを聖なるお方とし、あがめ、讃美できるようにしてください、ということ」だと。
(中略)
「第二に、わたしたちが自分の生活のすべて、すなわち、その思いと言葉と行いを正して、あなたの御名がわたしたちのゆえに汚されることなく、かえってあがめられ讃美されるようにしてください」と加えているのです。
「父よ」と呼びかける“主の祈り”は、神の子供たちの祈りです。良くも悪しくも子供の言動によって親が評価されるように、私たち神の子供たちの言動によって人々は神を評価するとも限りません。もちろん、罪にまみれている私たちの言動が神の評判を高められるはずもなく、かえってこれを汚してしまう日々の現実を私たちは嘆くばかりです。
にもかかわらず、私たちは願うのです。日々祈るのです。私たちの生活のすべてを通して神があがめられますように(マタイ5:16)。食べるにも飲むにも何をするにも、ただ神の栄光を現すことができますように(1コリント10:31)。そのように私たち自身が変えられて行きますようにと。
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今日も、大いに自省する必要があります。
For this very reason, make every effort to add to your faith goodness; and to goodness, knowledge;
and to knowledge, self-control; and to self-control, perseverance; and to perseverance, godliness;
and to godliness, brotherly kindness; and to brotherly kindness, love.”
(2 Peter 1:5-7)
こういうわけですから、あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、
知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、
敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。」
(2ペテロ 1:5-7)