昨日の日曜日は教会に集い、牧師先生のメッセージを通じてさまざまなことを学ぶことができました。
例えば誇ることは悪くはないけれども、いつしか「自慢」しはじめ、自慢が熟して「高慢」になり、結果的に「傲慢」へと誘惑されてしまうということです。
歴史的にも、大統領や王など頂点に達した人たちは、非常な欲望に駆り立てられています。
それなりに成功しても、謙遜になることはとても難しいことであると実感しました。
自分中心で生きている人は、決して真理がわからないとのことです。
真理ではなく、誰かに対する「ねたみ」を元に生きると、結果的に大きな困難に陥るかもしれません。
私自身も、決して立派ではない自分を立派であるかのように、他人だけでなく自分に対しても欺こうとしないように肝に銘じたいと思います。
”If anyone thinks he is something when he is nothing, he deceives himself.”
(Galatians 6:3)
「だれでも、りっぱでもない自分を何かりっぱでもあるかのように思うなら、自分を欺いているのです。」
(ガラテヤ6:3)